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[#122] 何とも言えない 『幸福の尺度』
『幸福の尺度』
幸福のハードルは低い方がいい。
僕は完璧主義ではない。
全く違う。
完璧じゃないと幸福を得られない完璧主義者の人は辛いだろうなと思う。
完璧じゃないものんだから欠陥や反省点が出てくる。
が、それは次に活かせばいいと思ってしまうのだ。
つまり完璧ではなくとも魅力的で幸福を感じてしまう。
でもこれってアーティストとしては致命的なんじゃないだろうか。
ご飯を食べてよっぽど不味いというものは年に数回しか巡り合わないんじゃないだろうか。
「普通」「美味い」「めっちゃ美味い」
基本的にこのどれかに属する。
しかしこれも舌の肥えた人はもっと細分化され、きちんと「不味い」という感想を持つことができるのだろう。
僕はその辺もまたいい加減なので、「だいたい美味い」となるのだ。
嫌いなものでなければ基本的に何でも美味い美味いと食べられる僕は幸せなのかもしれないが、一流であろうがファストフードであろうが同じくらいの笑顔で美味いと言ってしまう自分にも何だか切なくなる。
本当は憧れる。
あーでもないこーでもない。
簡単に満足せず、誰しもが見落としそうな違いに気づき、産みの苦しみを経て、完璧を実現させる。
そんなアーティストは誰が見てもかっこいいだろう。
しかしきちんと言っておかないといけない。
僕も常に完璧を目指している。
僕も常に産みの苦しみを通り抜けている。
その上で自分の作品が好きなのだ。
頭がおかしいと思われるかもしれないが、自分の作品のファンなのだ。
なので
何も考えずに適当に大雑把に作ってます。
なんて言いながら出来たものは完璧ってなスタンスはかっこいい。
裏では綿密に緻密に作詞もギターも洋服もこのコラムも世に出るものは気にしているつもりだ。
そして「適当にやってますね~ん」みたいな態度でいたい。
でもこんなことをコラムに書いたらおしまいだということも流石にわかってはいる。
サザンの桑田さんのエピソード。(なんか覚え間違えとか解釈の違いなどあったらすんません)
高級なプレゼントはもちろん誰でも喜んでくれるとは思うんだけど、原さんは道で拾った綺麗な石を渡しても「わ~綺麗ね~」って喜んでくれるんだよね。
僕も「すげー!綺麗やなー!」と喜んでしまう自信がある。
幸せの尺度だけの話ではない気もするが、このエピソードが好きだ。
お正月の芸能人格付けチェックの番組を見るのが好きだ。
何たってお正月が大好きな僕なのだから。
あそこでも一流を知る芸能人が一流と一流ではないもので悩み間違う。
人間なんてそんなもんでしょと思えて安心する。
最高級ワインも美味いし、コンビニのワインも美味い。
人生は短い。
完璧になるまでやってたらアウトプットできる数が限られてくる。
しかも凄い速さで物事が飽きられていくこの世界。
完璧を諦めずに、トライアンドエラーを繰り返したい。
あー今日もカップ焼きそばUFOを世界一美味いと思える自分が愛おしい。
でもどこか完璧主義者への憧れも捨てきれずにUFOのお湯を排水溝に捨てる。
ボコ!
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