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[#112] 何とも言えない 『謝ったら死ぬ病気』
『謝ったら死ぬ病気』
プライドとは美しくも厄介。
「すみません」
と言えない人が僕の周りにも何人かいるように思う。
少し遅刻した、確認事項の勘違い、単純なミスなどなど。
僕も場面によってはそうなっているかもしれないが、「すみません」はなるべく言うように過ごしている。
正当性を振りかざしても裁判では勝てるかもしれないが人としての美徳は見えない。
自尊心というものが満たされるという意味では、その言い訳は対人ではなく自らの為の行為と言えよう。
僕は性格がひん曲がっているので、そういう傾向にある人が謝らなければいけない場面で「すみません」と言うか言わないかを数えていたことがある。
紙やスマホにメモっていたわけではないが頭で数えていた。
そこで分かったことがある。
そういう人たちは百パーセント自分が悪い時はきちんと謝れるということ。
逆に言うと、少しでも自分以外の他の要因があればそれを声高々に叫ぶ。
これがあまりに不細工で、それを口にしている顔も不細工になってしまう。
いくら美男美女でも。
でももし日本人が死ぬまでに一番口にした言葉が「すみません」だと何だか悲しい。
僕がそれな気がする。
口が悪いからこそ謝っておかなければいけない場面が多いと自覚はしている。
でもそれはもしかしたら哀しいことなのかもしれない。
彼らのように生きられたなら。
そう思ってしまうのも事実。
「電車が遅れやがってさー」
「勘違いしましたわー」
「前にもらってたファイルが見つからなくてさー」
などなど。
あなたがこっちに謝らねければならなくなった理由はわかった。
問題はそこからだ。
それに続くであろう謝罪の言葉を待っているのだ。
それさえ聞ければ「了解です」と次に行ける。
しかし待てども待てども聞こえない。
謝罪が。
なし崩しに次に行っている。
時計は、人生は続くのだ。
僕のイライラだけがあの頃に置いてけぼりだ。
もうこう思うことにした。
彼らは「謝ったら死ぬ病気」なのだと。
HUNTER×HUNTERのクラピカのように心臓には刃が埋め込まれ、謝った瞬間その刃が心臓を貫く。
そういう病気、契約、先祖代々伝わる伝統。
それらの理由があって謝れないのだ。
こう思えば彼らに対して怒りよりも不憫な思いが湧いてくる。
でも人が謝らないだけで、ここまでコラムを書けてしまう僕が一番不憫なのかもしれない。
いやかもしれないではない。
不憫だ。
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