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[#111] 何とも言えない 『やっぱり恥ずかしい』
『やっぱり恥ずかしい』
先日恐らく初めて僕がきちんと吃っている動画をアップした。
きちんと吃るって言葉が正しいのかはわからないが。
僕の吃音は恐らく軽度なので、普段の会話やライブでのMCでは吃りそうな言葉は即座に言い換えて話している。
なので多分明らかに吃っている僕を見るのは皆さんも初めてだったんじゃないでしょうか?
その模様は先日KITSUのサイトにアップしたので是非見てほしいが、恥ずかしさもある。
やはり吃っているところを見られたい吃音者など居ないとは思う。
でもそれを隠すのもKITSUを運営している僕としては筋が通らない。
吃音VRと言って、その世界に飛び込んだら最後。
吃音者にとって地獄のような世界が広がる。(褒めてます)
自己紹介が行われる会議室、電話対応を迫られる状況、面接会場などなど。
開発者の梅津さんはその状況に慣れて、吃音者の訓練になればという思いでわざわざそんな地獄のようなVRを作った。
そんな彼もまた吃音者なのだ。
実は今回動画を撮影することに悩んだ。
なぜならVR体験をさせてもらうことは決まっていたし、僕が吃るのも決まっていたみたいなものだ。
そんなVRの世界に飛び込んで吃らない自信がなかった。
これまで寄付の際は全部動画を撮影してきた。
洋服を買ってもらったり、コラムに支援してもらった方たちへ「きちんと寄付してきましたよ」という僕からの証明になると思っているからだ。
でもやはり吃音者にとって吃っている姿を見られるのは気持ちいいものではない。
KITSUの活動をしていてもそんな感情は消えないのだ。
軽度の僕がこんな気持ちになるのだから僕より重い人はもっと嫌だろう。
吃音の認知を広めたい。
それはつまり吃る人がいても不思議に思うことのない社会。
そんなことを願っているのに、吃ることが少し恥ずかしいと言う僕。
矛盾している自分に腹が立つ。
それと同時に人間そんな綺麗に想いを整理できるわけないよなとも思う。
今日も生きている。
追記
恥ずかしいという言葉は誤解を生むかもしれない。
吃音は恥ずかしいことじゃない。
それだけは言っておく。
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