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[#107] 何とも言えない 『卵かけご飯』
『卵かけご飯』
味の素をこれでもかとふりかける。
ばあちゃんは卵が茶色くなるくらい醤油を入れていた。
僕はそれが少し塩辛かったので自ずと白米の量が増える。
それでも子供だった僕も「この世にこんな美味いものがあるのか」と思えた。
事務所に入るまでのツアーは貧乏旅行そのものだった。
親の車を借り見知らぬ道を行く。
高速道路から見える富士山は本当に大きい。
新幹線や飛行機から見える富士山よりもカッコよく思う。
十六年経った今でも同じように思う。
衣食住と楽器があれば東京でだってライブができる。
ライブで着るために少し奮発して買ったカットソーがカバンに入っている。
僕らはカラオケだって、車内だって寝れる。
僕らだけなら菓子パンやカップラーメン、ライブ後の打ち上げなら会費として取られる三千円の元を取ろうと腹一杯に飲み食いする。
ヤクルトを飲む速さで生ビールを一気飲みしてはお代わりを繰り返す先輩には、もう少し金を払えよという気持ちになった。
炊き立ての米が食べたい。
コンビニのおにぎりの米ではダメだ。
温かい味噌汁が飲みたい。
カップラーメンの残り汁ではダメだ。
朝定食みたいなものなら安いか。
せっかく東京まで夜を超えて、徹夜でやってきたのだ。
ライブまでの時間は車で眠るにしても、最後に温かいご飯が食べたい。
朝定食なら安いんじゃないかと眠い目を擦って牛丼チャーン店に入った。
一応言っておくと、牛丼チェーン店は朝だけでなく二十四時間安い。
でもそれくらい金がなかった。
旅館に泊まる。
ご飯が豪華だ。
小鉢が並び、一人用の鍋みたいなものがありその下には青い固形燃料。
仲居さんがチャッカマンで固形燃料に火をつける。
きちんと時間になればその火は消え、鍋は食べ頃。
旅行は最近行けていないな。
あの固形燃料って旅館以外で見たことないな。
そんなことを牛丼チェーン店で思った。
朝定食は質素なものだ。
でも温かいご飯があるだけで幸せになれた。
生卵に醤油を入れかき混ぜる。
他のおかずもあるのでいきなり白米にはかけない。
脳内で作戦会議が開かれる。
横のシンタローもかき混ぜはしたものの、米にはかけていない。
ここで周りをキョロキョロ見渡す人間が居た。
ボーカルのキンタさんだ。
そして驚くべきセリフを口にした。
「これ、いつ青いロウソクみたいなやつ来るん?」
僕らは「ん?」と言うしかなかった。
でも彼は続ける。
「この生卵って小さい鉄板みたいなやつと青いロウソクみたいなやつで焼くんじゃないの?その用具はいつ持ってきてくれるんやろ?」
僕らはそんなものは出てこない、生のままご飯にかけるのだと説明した。
その時の彼のビックリした顔は忘れられない。
人生で卵を生で食べたことがない人間に初めて会った僕もビックリした顔をしていただろう。
「美味い美味い!!」
彼はそう言いながら卵かけご飯を頬張る。
何だかこちらまで嬉しい気持ちになったが、同時に虚しくなった。
どちらの育ってきた環境が良いとか悪いとか、そんな話ではない。
なんならどちらも良い環境だったんだろう。
ただ生卵に入れる醤油の量や、ほんまは味の素があったらもっと美味いんやけどな!など。
そんなことをレクチャーして喜んでいる自分が恥ずかしくなった。
彼の家では綺麗に焼かれた目玉焼きや卵焼きしか出てこないのだろう。
何とも言えない。
何とも言えない恥ずかしさだけが僕を襲ったので、せめてもの気持ちでそこからは箸の持ち方に気をつけて定食を平らげた。
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