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[#100] 何とも言えない 『百点』
『百点』
毎週月曜日の十七時。
コラムが更新される。
楽しみにしてくれているなら嬉しい。
でもコラムを書くという行為は実は楽ではない。
今日のコラムで百回目の更新になる。
僕なりに気をつけていることがある。
ただ単に日記にならないように気を付ける。
吃音の苦労話に終始しない。
日常に寄り添う。
ノスタルジックを纏わせる。
毒か薬になるように書く。
などなど。
これをクリアし、かつ読み物として面白いものを書くのは難しい。
毎回そのハードルをクリア出来ていたのかは読んでくれているあなたが判断してくれればいいけど、これだけは言いたい。
KITSUのコラムを毎週欠かさず書き続けた僕を褒めてほしい。
誰にも頼まれていないし、誰にも望まれていないかもしれないものを毎週作り続けた僕を褒めてほしい。
百という数字は何だか縁起がいい。
百点満点、百花繚乱、百戦錬磨、百発百中など。
数字としても大きな数という認識だ。
大金といえば百万円だし、友達百人出来たらすごい。
別に大前提としては褒められたくてやってるわけではない。
でも百回目の更新という区切りで一回くらい僕を褒めてもバチは当たらないと思う。
正直継続力には自信がある。
決めたことは意地でもやる性格だ。
融通が効かないとも言う。
でも間抜けな自分も自覚している。
更新を忘れたり、筆が止まり滞ったり、アウトな発言をして休止したり。
そんな可能性も僕ならある。
そう思っていたが、ここまで僕を走らせてくれた「吃音」というものは僕にとってやはり大きなコンプレックスであるんだなと再認識した。
そして少なからずこれを読んでくれているあなたの声は僕に確かに届いているんだと再確認した。
コラムとして面白くありたい。
じゃないとこれまで作詞家として生きてきたが「あいつはメロディに助けられているだけ」「音楽がないと良い言葉を書けない」となってしまう。
もちろんそれは一理ある。
いつもメロディや音楽に助けられながら歌詞を書く。
でも良いコラムだって書きたい。
じゃあどうしようか。
これを百回記念として、皆さんにお願いがあります。
僕を褒めてくれ以外のお願いです。
今日だけでいいから。
今日というか、これを読んでからになるから明日かな。
明日会う人に吃音のことを話してみてください。
一人でいいです。
吃音を知っているか、知ってなければ教えてあげてください。
簡単な説明だけでいいです。
知っているならKITSUを教えてあげてください。
SNSフォローしてあげてねってくらいで結構です。
僕が百回吃音吃音と言うことよりも、一回でいいからこれを読んでくれているあなたが吃音のことを誰かに話してほしいのです。
何が言いたいかというと。
僕が積み重ねた百よりも、あなたのその「1」の方が大きな力を持つということ。
それって悔しいけどほんとにそう。
僕が発信したものがあなたに届いて、あなたが誰かに発信することでKITSUはやっと意味を成す。
つまりそこまで行ってやっと僕自身に百点満点をあげてもいいのかなと思います。
皆んなで百点目指しましょう。
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