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[#80] 何とも言えない 『親の愛情不足』
『親の愛情不足』
甘やかされて育った自覚がある。
長男という立場と持ち前のクリクリと大きな目を武器に周りの大人からも大層可愛がられたと思う。
だからこそ言いたい。
吃音症の原因は親の愛情不足ではない。
可愛がられた自覚がある僕が吃音症なのだから、これ以上の説得力はないのではなかろうか。
専門的な知識はない。
それでもKITSUを始める前と後では「吃音症」に対しての情報が勝手に流れてくるようになった。
もちろん自分から調べたり勉強したりの側面もあるが、吃音という言葉が特別なものではなくなった。
少なくとも僕の生活範囲内では。
その生活の中で「吃音は親の愛情不足が原因」という言葉をたまに目にする。
これは明確に否定されているのだが、そういう迷信めいたものは謎に広がっていく。
考え方や捉え方が吃音当事者の中でも様々あることがわかってきた。
「吃音は個性だ」
「吃音を知ってほしい」
「吃音ということを知られたくない」
「吃音は病気だ」
「吃音は障害だ」
知れば知るほど様々だ。
個人的に賛同できるものもできないものもあるが、それを否定しようとは思わない。
当事者かどうかでも、重度か軽度かでも、話は変わってくるからだ。
しかし「吃音は親の愛情不足が原因」
これだけは明確に医学的にも否定されている。
年齢的に友達にも子供を持つ者が増えてきた。
さらに十六年もバンドをやっていると学生時代から好きでいてくれて、今では子育て追われて落ち着いたらライブ行きます!なんて言ってくれる人もいる。
こんな嬉しい話はない。
お客さんと一緒に生きていくバンドになれていると実感するシーンの一つだ。
そんな子供を持つ人たちに「吃音は親の愛情不足が原因」なんて言葉は彼らの目にも入れたくない。
いつか僕に子供が出来たら、ライブに来てもらいたい。
ステージの袖でカッコいい父ちゃんを見てもらいたい。
それと同時に我が子も吃音の症状があったらどうしようとも思う。
こんなしなくていい苦労はしてほしくない。
吃音があろうがなかろうがどっちでもいい!
なんて言えない。
そりゃない方がいいに決まっている。
当事者の僕が思うんだから仕方ない。
でも吃音があろうがなかろうが愛するに決まっている。
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