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[#76] 何とも言えない 『急性アルコール中毒者を運べ』
『急性アルコール中毒者を運べ』
失敗は繰り返される。
認めたくないが認めざるを得ないのだろう。
僕は酒が弱い。
でも全く飲めないこともないから余計にタチが悪い。
今では「これ以上飲むと死」というラインを自分でわかっているつもりなので醜態を晒すことはなくなった。
でも二十代の頃はトイレで意識を失い便器を抱いて籠城したり、タクシーの運転手さんにあまりに不憫に思われたのか水を買ってもらい道で吐いたり、無意識でもベッドは汚したくなかったのかビニール袋を頭に被ったまま眠っていたり。
数えきれない醜態を晒した。
そして勘違いしないでもらいたいのはこれを武勇伝の如く話したいわけじゃない。
本当に恥ずかしいし、もう大人なんだからこれからそんなことはしないと思いたい故のコラムでもある。
しかし全ての始まりは大阪でバンドを始めた頃の打ち上げまでさかのぼる。
大阪と言っても田舎だ。
田舎とは車社会だ。
軽自動車を自転車のように乗り回すおばちゃんが生息する。
僕も例に漏れず車社会で生きてきたので「飲む」という行為自体が少ない。
なので耐性もないまま大阪のひどい打ち上げに飛び込んだ。
全てがカルチャーショック。
豪快、下品、縦社会、勇気、コミュ力、寝たフリ、友情、ケンカ。
色んなものがそこには転がっていた。
しかしあの頃は過渡期。
不条理で誰も得をしない打ち上げに嫌気が差しながらも、もっと楽しく飲もうよという打ち上げが生まれつつあった過渡期。
僕らはその狭間にいた。
ビールと梅酒以外の名前がわからないから、そのどちらかを飲んでいた僕に小さいグラスが届けられた。
名前は聞いたことがある。
テキーラってやつか。
「全員でせーので行くぞ!!」
と面白くない奴が仕切っている。
しかし今日は逃げることは許されない方の悪しき打ち上げ。
いつも体を張ってくれるキンタは別のグループでしっぽり飲んでいる。
僕が行くしかない。
この消毒液をせーので飲んで何が楽しいのだ。
「せーの!!!」
そこからの記憶はあまりない。
可愛がってくれているライブハウスの店長は僕が吐いたものを素手で片付けてくれたと後で聞いた。
吐いたまま痙攣している僕を心配したメンバーや仲の良いバンドマンが救急車を呼ぼうとしてくれたと後で聞いた。
気付けば実家のベッドで目を覚ました。
嘔吐した次の日の口の中の気持ち悪さは最低だ。
オカンから聞いた。
その日メンバーのシンタロウが潰れた僕を実家まで運んでくれたのだと言う。
しかも実家の僕の部屋まで。
一戸建ての二階に僕の部屋はある。
朝の四時頃。
酔い潰れた大人を二階まで運ぶのは肉体的にかなりの苦労だったと思う。
しかしそれよりも驚いたのが、僕をベッドまで運んで部屋から出る際物音に気付き起きてきたオカンと廊下で遭遇したとのこと。
シンタロウにとっては精神的にかなりの苦労だったと思う。
いくらメンバーとはいえ他人の実家で朝の四時頃に寝起きですっぴんのおばさんと遭遇。
その立場になったことを想像するだけでも身の毛もよ立つ。
「シンタロウくんが夜中に廊下に立っててビックリしたわ!でもほんまお礼言うとかなあかんで」
オカンはそう言って離れた。
もうそんな経験はしなくてもいいが、そんな無茶もしなくなった自分にどこか寂しさもある。
もし同じようにまた僕が倒れたらメンバーの二人は確実に家まで運んでくれるんだろうなという確信めいた自信がある。
人の迷惑も考えずに。
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