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[#67] 何とも言えない 『その俳優が僕にこう言ったんだ』
『その俳優が僕にこう言ったんだ』
名前は言えないが、誰もが知っている男性俳優とタクシーに乗ったことがある。
その超絶イケメン俳優とは何回か飲んだことがあるのだが、もう僕の名前すら覚えていないだろう。
あ、ちなみに吉沢亮じゃないよ。
友達に誘われて行った会が芸能人の集まりだった。
みたいなことが何回かあった。
僕は東京やなーと思いながらも「どうも」くらいしか話せず、田舎者具合を隠すことに必死だった。
ミーハー心みたいなものがなかったと言えば嘘になる。
しかし数回そこにいると高いだけで座り心地の悪い椅子に押さえつけられている気分になった。
まだ東京に来て数ヶ月。
地理もわからず初めて借りた部屋はユニットバスだった。
お世辞にも良いマンションとは言えず、しかしながらオンボロアパートというわけでもない。
その中途半端さが何だか一番恥ずかしかった。
別にタワマンなんて今も興味はないけど、バンドで成功する夢の中には自分の満足する家に住むぞ!という要素も確実にモチベーションになっていた。
自分が満足する家を想像すると、その家の風呂は少なくともユニットバスではなかった。
売れたい。
こんな中途半端な部屋から僕は飛び出さなければならない。
そのために東京に来たのだ。
芸能人という人たちを一括りにしてはいけない。
今思うと僕が接した芸能人と呼ばれる人たちも悪い人じゃない、というか良い人が多かったんだと思う。
ただその一部の人たちにとっての普通は、大阪から出てきたバンドマンにとっては普通ではなかった。
これが価値観、金銭感覚、飲み方、遊び方など。
全てが僕のそれとは違った。
ついていけないし、必死でついていくものではないと判断した。
それは若くして成功した彼らと何回か飲んでいると勘違いしそうになる自分もいたからだ。
一番嫌だった。
彼らは自らの力で成功したが、僕は東京に来てまだ何も成し遂げていないのだ。
成し遂げた彼らといると僕まで成し遂げたのだと錯覚する。
ここにいてはいけない。
もしくは僕が成し遂げたら、また会えばいい。
豪勢な店からタクシーで帰った自分の家がさっきまでの現実と差がありすぎて景色が歪む。
酔った。
今日の帰りは帰る方向が同じということでその俳優と二人でタクシーに乗った。
他愛もない会話は続いた。
文脈は忘れたがトイレの話になった。
無意識に自分の家がユニットバスであるということは言わず、でも嘘にはならないように話した。
そのセリフの中で僕は「ウォシュレットないから」と言った。
らしい。
自分でも覚えていなかったし、まぁ実際ユニットバスのトイレにウォシュレットが付いているはずもない。
するとその俳優が僕にこう言ったんだ。
「ウォシュレットのないトイレなんてあるの!?」
酔っていて良かったと思った。
夜で良かったと思った。
恐らく僕の顔は真っ赤になっていただろう。
恥ずかしさで。
その俳優もいい人だから悪意はなかったんだと思う。
僕は恥ずかしさと悔しさを噛み締めながらその場を取り繕うことに必死で、その会話の続きを覚えてはいない。
世の中にはウォシュレットのないトイレに住んでる人はいっぱい居るよ。
そうウォシュレットのない人の代表として俳優に言い返せれば良かったのだろうか。
でもその恥ずかしさは今でも僕を縛り付ける。
偶然にも今住んでいる家にはウォシュレットはある。
でも何だかあの気持ちを忘れてはいけないと思っている。
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