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[#64] 何とも言えない 『今僕は大きなステージで』
『今僕は大きなステージで』
恐らく今僕は大阪の難波ハッチでライブをしている。
結成十五周年のフィナーレを地元大阪でしているはずだ。
これを読んでくれているあなたがそのライブを体感してくれた後であることを願う。
(もちろんそうでなかったとしてもこれを読んでくれている時点で嬉しい)
バンドは転がり続ける。
「Like a rolling stone」とはよく言ったものだ。
高校生の時に自分でチケットを買って入場した難波ハッチをよく覚えている。
ACIDMANというバンドが好きで、彼らのライブにボーカルのキンタと行ったのだ。
ギターのメーカー、足元にあるエフェクターの種類を覗こうと前に行きたいがライブハウスの最前列はお客さんが密集してそれ以上はいけない。
それをかき分けるほどの勇気もないまだ学生だった僕らは遠くからそのライブを眺めた。
でも音は目の前で鳴り手で掴めるほどの立体感だった。
オリコンランキングやテレビで見ることはない。
しかし確実に難波ハッチを埋める彼らは天邪鬼な僕の心を鷲掴みした。
それはACIDMANだけの話ではない。
あの頃のバンドシーンというものがそうだった。
SNSもなく自ら探らないと情報を得ることはできない。
でも現場に行くとその情報を探り当てたお客さんでライブハウスは埋まる。
彼らとは同志のような関係だと思い込んでいたが、そのバンドシーンはアングラなものではなくメインストリームとなる。
全国にフェスは乱立し、その時期のバンドたちは大御所という印象こそないものの明らかに若手バンドのそれとは違うオーラを放っていた。
LEGOがどうだろうか?
長くバンドやってりゃ偉いのか?
いや、そんなわけない。
でも長くやれていることの誇りだけは握りしめている。
その答えみたいなものは今日のライブで出る。
というかもう答えは出ている頃かな。
あの頃憧れたバンドになれるだなんて思っていないけど、あの頃の僕がもし今日難波ハッチでLEGOBIGMORLのライブを見たら。
そいつの心を鷲掴みにできているだろうか。
そんな空想をしながらも、これを書きながらもその自信でみなぎっている。
今僕は大きなステージでギターを振り回している。
小さなステージでも、実家の自分の部屋でも、それは変わらない。
いや、変わるか。
だって実家の部屋とは違い、目の前にはお客さんがいるのだから。
羽曳野市の実家の狭い部屋から難波ハッチのステージへというトンネル工事。
それは十五年の時を経て開通した。
次はどこに繋げようか。
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