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[#56] 何とも言えない 『声』
『声』
当時GLAYがニューシングルをCDではなくビデオでリリースした。
「サバイバル」だ。
TSUTAYAがとても近く足繁く通ってはCDをレンタルしてカセットやMDに録音しては返却する。
ラジカセを買ってもらって以来、僕の日常にそれは組み込まれていた。
そんなヒロキ少年もGLAYのシングルがまさかのビデオということに困惑した。
今思えばコードが一、二本あれば綺麗に録音できたんだと思う。
しかしそんな配線や機器に詳しくない少年はテレビから流れるビデオの音にラジカセを近づけて、そのまま録音する方法しか思いつかなった。
そんな日に限って友達が僕の部屋にたむろしている。
真剣にサッカーを頑張る僕らはさすがにまだタバコなどは吸わなかった。
健全にジュースを飲んで、健全に女子の話をしている健全な男子学生だった。
「今からこのビデオの音をラジカセで録音するから、皆んなの声や音が入らないようにその間は静かにしといてくれ」
と言ったのが間違いだ。
彼らはそれをフリだと捉えることを幼い頃から徹底的に教育された大阪の少年たちなのだ。
「サバイバル」イントロが流れる。
この曲は誰もがサビの早口のところを歌いたくなる。
それまで言いつけを守り黙っていた友達も「地球最後の日になって~」のところで全員がふざけた声で歌い出した。
ラジカセの録音は失敗だ。
「もう!!お前ら静かにしろって!!」
僕が注意を叫んでももう遅い。
一応カセットを確認のために聞いてみるがやはり「地球最後の日になってガッハハハハ!!!!」という友達の声が入ってしまっている。
怒りだ。
バンドってのは本番の音源を後で聴き直し反省会をしなければならない。
本番ではアドレナリンでかっこよく聴こえていた演奏も、後日冷静に聴くと赤面レベルだったということはあるのだ。
その時に自分のMCを聞かなければならない。
演奏よりも苦痛の時間だ。
それはどんなに僕のMCが滑っているからではない。
いや滑っているからでもあるが、それ以上に自分の声が嫌いなのだ。
もし僕が自分でも自分の声を愛せているなら今頃ボーカルでもやっていることだろう。
その前に声が良くても、音程が優れているかどうかは別の話なのだが。
大体周りの人は「そんなことないよ、いい声だよ」って言ってくれたりする。
Tシャツと背中の間を風がひゅっと通過して、一筋の汗が流れる。
自分の声を聞くと言うことは僕にとってそういうことだ。
フォローしてくれているのに申し訳ない。
僕と同じ気持ちの人も少なくないだろう。
いつから自分の声が嫌いになったのだろうか。
僕はその日を明確に覚えている。
あのサバイバルをラジカセで録音した日だ。
「地球最後の日になってガッハハハハ!!!!」という友達の声の後に入っていた声(声というか音という認識だった)に愕然としたのだ。
「もう!!お前ら静かにしろって!!。。。。ガチャ!!」
という音が聞こえた。
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