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[#291] 何とも言えない『嫌なことを先に終わらすか、後に置いておくか』
『嫌なことを先に終わらすか、後に置いておくか』
夏休みはずっと外にいた。
毎日市民プールに行く。
あのビニールで出来たバッグの匂いを嗅ぐとタイムスリップする。
久しくそんな感覚はなかったが、自分の娘のミニーちゃんのビニールバッグが家に届いた瞬間にあの頃のの自分に会えた。
藁半紙(わらばんし)にプリントされた宿題。(今は藁半紙なんてないのかな)
あれはもちろんウザくてダルい。
国語算数理科社会、それに日記や自由研究や図画工作。
おまけに朝顔なんて育てさせられる。
でも僕は”嫌なことは先にやれ”と洗脳に近い教育をされ生きてきた。
だから僕は日記や朝顔を除いて、夏休みの宿題はほとんど早い時期には終わっていた。
夏休み最後の数日で焦って宿題をやっている友達を見て不思議に思っていた記憶がある。
でも今ならわかる。
嫌なことなんて後回しにして夏休みくらい何も考えずに遊ぼうぜ!っていう方が人間らしいし、子供らしい。
そんな感覚をどこかに置いてきたせいで僕は今でも全てのものを斜めから見てしまうし、こんなに捻くれた子供みたいな大人になってしまったのだ。
びっくりドンキーが好きだ。
東京に住んでからは行く機会が減った。(近くにないんだもの)
あのでかい木のメニューはなくなり、タッチパネルに変わったのはとても寂しい。
そりゃあの木のメニュー表は非効率で、場所も取るし、デメリットの方が多いのだろう。
僕はいつもエッグバーグディッシュを注文する。
毎回同じメニューを頼んでしまう冒険心のない自分が嫌になる。
運ばれてきた食事に手を付ける順も決まっている。
先にオリジナルマヨがかかったサラダを平らげ、ハンバーグの上に乗っている目玉焼きの白身とハンバーグを食べていく。
ご飯もしっかり大盛りで。
最後は綺麗に丸く残った黄身だけを肉とご飯に絡めて食べる。
僕の気持ち悪い食べ方を知ってほしいのではなく。
つまりは僕は”好きなものは最後に取っておく”タイプだということ。
でもたまに寂しくなる。
大好物を真っ先に頬張る無邪気さや、可愛げとサヨナラして打算的な自分だけを見つめないといけない寂しさだ。
今の娘は欲しいものだけを要求する。
「パン!」
と納豆ご飯が目の前にあっても気分じゃなければパンを要求する。
納豆ご飯が申し訳な誘うにこっちを見ているので、その少し冷めた納豆ご飯は僕の口に入ることになる。
僕だって赤ちゃんの時はそうだったのだろうか。
好きなものを優先して、嫌なものは後回しにしていたのだろうか。
この文字を書いているだけでもウズウズするくらい好きなものを置いておいて、嫌なものは先に片付けたい。
どっちが偉いのかわからんけど、言えることは臨機応変にやれるのが一番良いということだ。
僕のカチカチの石頭の想像なんかフワッと飛び越えるくらいの柔軟な思考を娘に持ってもらいたいし、それを真横で見て僕の石頭も少しはほぐれてくれたらいい。
バンドを仕事にしようと思った。
それ自体が”好き”を優先した結果なのか。(好きなバンドや好きな生き方)
それとも”嫌な”ことを後回しにした結果なのか。(嫌な就活や現実)
ここで既に矛盾が生じている。
というか20年前の僕にしては臨機応変にやれている。
もしくは一世一代の逆張り!?
これからも嫌なことは先にやっていく人生だと思う。
”あれやらなあかんなー”とずっと頭の隅にある状態で生活することがストレスなのだ。
じゃあ嫌なことってなに?
バンドの仕事が全て楽しいなんて言えない。
ダルいこともある。
育児が全て楽しいなんて言えない。
クソ腹立つこともある。
毎日楽しい日々ではない。
でも死にたくなるような生活ではない。
昔はしょうもないことで死にたいなんて思ったり口にしたりしていた。(そんな勇気もないのに)
でも今は死にたくはならない。
というか絶対死にたくない。
バンドを死ぬまでやりたいのと、娘と死ぬまで遊びたい。
つまり死ぬのが一番嫌なこと。
嫌なことを先に終わらせたいタイプの僕やけど、この嫌なことに関しては後回しにさせてよ。
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