[#50] 何とも言えない 『帰れないところまで来た』

KITSU

2021/12/13 19:00

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『帰れないところまで来た』


それぞれ自転車で行ける距離。

「テレビ買ってん」

「もうすぐソファ届くねん」

そんな会話がバンド内で占められていた。

僕らは東京に引っ越してきたのだ。


一生大阪に住み死んでいく。

その途中にメンバーと出会い、音楽と出会い、お客さんと出会い。

どこかのライブハウスに明らかに浮いているスーツのおじさんがいた、僕らの手作りのCDを買って行った。

彼は僕らの事務所の人間だった。

デビューもMステもレコーディングも全部大阪から通った。

その期間東京の中目黒のホテルに泊まる。

中目黒と言われてもどこか分かっていなかった。

それでも一生大阪に住み死んでいく。

そう信じて疑わなかった。


スタジオに行く。

帰る。

誰かメンバーの家に集まる。

みんなでご飯を食べる。

帰る。

次の日またスタジオに行く。

こんな生活が上京して半年くらいは行われていた。

何たって東京に友達もいないし、自炊もしたこともない。

冬が近づいてきた東京で僕らは文字通り、肩寄せ合って生きた。

キンタは食べ物の原産地とかを意外に気にするんだ、とか。

シンタローは食後の甘いものを絶対に食べるんだ、とか。

大ちゃんは何でも食べると思いきや大葉などの香りの強い葉っぱはダメなんだ、とか。

色々知らなかったことも多いと再認識する。


「なんでこんなにエアコン効かんねん」

「外より寒いわ」

こんなひどいことを僕に言われても怒らないのがシンタローである。

でも本当にそうだったので、後日大家に頼んだシンタローのエアコンは新品に変わっていた。

キンタはベッドに潜り込んでいる。

寒くて仕方ないし、腹が減って仕方がない。

「コンビニとかスーパーに行くのも嫌なくらい寒いなぁ」

まだUberなんてなかったし、出前をとるなんて金持ちのやることだと思っていた。

「シチューあるで!ホワイトシチューの素!」

シンタローが一人暮らし用の狭いキッチンの棚の奥から箱を振っている。

「肉とか野菜は?」

「んなもんない」

「まぁええか、じゃあ米炊いてそれかけて食おう」


箱の裏に書いてある通りに作る。

水も牛乳もある。

ないのは具だけ。

その間に米も炊けた。

一人暮らし用の鍋は大きくはないが男数人が食べるだけの量は確保できた。

グツグツと音を立て、一人暮らしの部屋に良い香りが充満するには一瞬だった。

「それっぽいやん」


皆さんは知っているだろうか。

肉も野菜もないシチューの味を。

「米にかけても真っ白で不味そうやな~」

まさか本当に不味いなんて思っていないからそんなことが言えるのだ。

「いただきます」

きちんといただきますは言えるくらいの教育は受けている我々。

「まっず!!!!!」

全員が叫んだ。

本当に不味いのだ。

想像を遥かに超える不味さなのだ。

「塩かけてみよう!!」

そういう問題でもない。

「醤油ある??」

これも違う。

「マヨネーズ溶かしてみよか」

僕らはもう帰れないところまで来たのだ。

大阪にも、美味しいシチューにも帰れないのだ。

今でも爆笑しながら食べる不味いシチューを思い出す。

それは決まってこの時期。




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