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[#47] 何とも言えない 『藤田のおばちゃん』
『藤田のおばちゃん』
保育園、小学校、中学校、違う公立の高校を受験したのにお互い落ちて滑止めの私立の高校。
これだけの時間を共に過ごした藤田という友達がいる。
小中学では同じサッカー部に、高校の時の初めてのバイト先も同じ。
彼とは家族ぐるみの付き合いで、藤田の家の電話番号は今でも覚えている。
その番号に幾度となく電話した。
決まって電話に出るのが彼のお母さん。
関西では友達の母親のことを「おばちゃんと」呼ぶ。
今思えば失礼だし、その頃のおばちゃん達の年齢は今の僕とさほど変わらないのだろう。
彼には五個歳の違う兄がおり、小学校一年生の僕は藤田と六年生の彼の兄ちゃんと一緒に登校した。
近道や駄菓子屋を教わったり、登校時に工務店の玄関から見える時計で今の時間がわかるなども教えてもらった。
その兄ちゃんは当時から背が高くて頭も良い。
僕の高校受験の時は家庭教師もしてもらっていたが受験に落ちたので申し訳なさがあった。
余談だが、大学生になった藤田の兄ちゃんと道で会い、就職先の話になったことがあった。
「どこの会社入んの?」
と僕が聞くと。
「トヨタの本社かな。第一志望はNASAやけどな。」
と漫画みたいなことを言っていたが、きちんとトヨタの本社への入社が決まっていたんだから優秀すぎる人なんだ。
しかし僕の幼馴染の藤田本人はあんな兄ちゃんがいるのに偏差値的には平均的でアホでも賢くもない、僕と同じような具合だ。
そしてもっと言うと藤田のおばちゃんはあんな兄ちゃんを産んだ人なのに、とにかく天然なのだった。
コロナ禍にて。
大阪の藤田からLINEが来た。
そこには一本の動画が。
再生してみると、藤田のおばちゃんが水深十センチくらいの川で溺れている動画だった。
もちろん心配するような動画ではない。
家族だけで川にバーベキューに行ったらしい。
愛犬と戯れながら川で溺れているおばちゃんの動画はコロナ禍でどんよりした僕の気持ちを明るくさせた。
小学校の時の塾も藤田と同じだった。
なのでいつもその送り迎えをうちの親と藤田のおばちゃんで交代で行っていた。
塾が終わると、駐輪場にあるピンク色の公衆電話から迎えに来てくれと電話をする。
そのための数十円と、車を待つ間にジュース飲んでいいよと百円を持たされていた。
夏は炭酸、冬はコーンポタージュ。
何本もその自販機で飲み物を買い、藤田と迎えを待った。
今日は藤田のおばちゃんが来てくれるらしい。
大阪のおばちゃんは機動力重視で軽自動車を乗り回す。
ジャスコの駐車場は軽でいっぱいだ。
おばちゃんもいつも通り年季の入ったホンダのLIFEに乗りやってきた。
「ヒロキくんお待たせやで~」
そういうと僕を後部座席に乗せてくれる。
藤田は助手席に乗り帰路に着く。
そんな遠いわけではないが、車内の暖かさと塾の疲れもあって僕も藤田もウトウトし始め気づけば寝てしまっていた。
それは藤田のおばちゃんも同じだったようだ。
は?
ゴーン!!!
という音で目を覚ました。
すると車は斜めに傾き、歩道に少し乗り上げた格好になっていた。
「オカン!どうしたんや!!」
藤田も寝ていたのだろう経緯を理解しておらずおばちゃんに聞く。
「ごめ~ん、おばちゃん寝てたみたいやわ~」
運転中に寝るな。
と小学生ながらに心で突っ込んだが、すぐに藤田が代弁してくれていた。
歩道の縁石にタイヤがぶつかりパンクしている。
他所の子供を車に乗せて居眠りしてしまうのもおばちゃんらしいのだが、流石に今回は危なかった。
他人に迷惑はかけていないし(僕以外は)誰も怪我はない。
だからこそ今では笑い話。
というか、その瞬間から笑い話になるのがこのおばちゃんの凄いところ。
「ヒロキくん乗せてるのに寝るなんておばちゃんどうかしてるわ~」
と笑いながら話している。
笑えないのについ釣られて笑ってしまう。
地元羽曳野市の夜の街頭の少なさ。
田んぼばかりの匂い。
無駄に駐車場が広いコンビニ。
そんな景色や香りとともにJAFを待った。
でも何だかパンクした車の横でJAFを待っている時間が楽しかった。
塾の日はジュースは一本までと決まっていたが、おばちゃんが駐車場の広いコンビニでジュースを買ってくれた。
「ヒロキくんのお母さんには内緒やで」
なんか粋な事をしているようなこの人に感謝を感じそうになったが、この人はさっきまで僕を乗せて居眠り運転していたおばちゃんや。
しかしきちんとお礼を言ってジュースを飲む。
そのジュースがとびきり美味しかったんです。
なんでやろうか。
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