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[#46] 何とも言えない 『風吹けば』
『風吹けば』
先日、目の不自由な人を家まで送った話をTwitterで呟いた。
文字数制限もあるTwitterでは行間を読んでもらわないといけない。
それもまたオツなものだ。
そのツイートを見ていない人もいると思うので説明すると。
ある日僕が最寄りの駅に降り立つと駅員さんの肘につかまり改札を通る目の不自由な方がいた。
改札を抜けるとそこからは駅員さんはいなくなり一人で帰路につくことになるのだろう。
そのおじさんは家の近所でたまに見かける方で、恐らく家がご近所なのだ。
なので勇気を出して声をかけてみた。
「あの、たぶん帰る方向同じだと思うので一緒に帰りましょうか?」
「あ、そうですか。ありがとうございます。では右肘を」
おじさんがそう言ったので僕はおじさんの左側に回り込んだ。
良い人アピールしたかったわけじゃないけど、自分が悦に入りそうで怖かった。
「良いことをしている自分かっこいい」
この感情に支配されそうでもはや声をかけることをやめようとさえ思ったが結果から言うと、絶対に声をかけてよかった。
なぜなら悦に入る間もないほど、おじさんとの時間は楽しいもので。
悦に入る間もないほど、目の不自由な方を連れて歩くことは難しかった。
「たまに親切に声をかけてくれたのにぶっきらぼうに突っぱねる障害者もいるけど、そんな人に当たっても気にしないでね」
おじさんは障害者の人を代表したかのように僕に言った。
「一人で歩ける!みたいに無愛想な人もいるのよ、僕は誰にでも甘えちゃうけどね」
なんて笑っているおじさんはチャーミングだ。
いつも僕が一人で歩くと十分もかからない帰路がおじさんと歩くと倍ほどの時間がかかった。
車が来るたびに横にお連れしたり、立ち止まったり。
僕の一番気付きは、駅から家までにこんなにも段差があるんだなということ。
「段差ありますよ」
僕に言われなくてもおじさんは白いステッキでそれを理解しているのかもしれないが一回一回「ありがとう」と言ってくれた。
「車が右から来てるね」
おじさんが言った。
目以外の感覚は研ぎ澄まされているようだった。
「実は僕ミュージシャンなんです、でもおじさんの方が僕より耳が良さそうですね」
僕がこう言うとおじさんは笑いながらもミュージシャンなんて凄いねと言ってくれた。
何も凄いことない。
おじさんの方が凄い。
「耳も鼻も感触も全部使って歩くよ」
今どの辺りを歩いているのかもわかっているようだった。
「風でもわかるよ、こうして今みたいに風が吹いていれば交差点が近いから車に気をつけないとね」
僕らは交差点に差し掛かっていた。
そしてそれを言われるまで僕は風を感じられていなかった。
「風吹けば交差点なんですね」
「そうだよ、風吹けば交差点よ」
僕たちはいつも迷う。
人生は何差路にもなる交差点だ。
しかしその時には風が吹く。
風吹けば交差点。
この言葉が僕の心にストンと落ちて、迷ったとしても風は吹いていると思えるような気がした。
「あそこの床屋の主人が亡くなった」
おじさんが教えてくれた。
確かに最近お顔を見ていなかった。
床屋を過ぎるともう大丈夫とおじさんが言う。
お別れの時間だ。
楽しい時間だった。
「あなたおいくつなの?」
「三十六です」
「いいねぇ、若いねぇ、今から何でもできるねぇ」
目が見えなくても一人で歩くおじさんにそう言われると僕も何でもできる気がした。
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