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[#43] 何とも言えない 『へその緒』
『へその緒』
生まれ落ちた先は「タナカ」
十月二十五日。
僕にとっては死ぬまで特別な日になる。
毎年一応おめでとうとは言われるものの、もう喜ぶような歳ではない。
とはいえ、全くお祝いがないのは多分スネる。
でもこの歳だから思えることもある。
綺麗事ではなく、ありがとうなのだ。
ありがとうなのだってバカボンみたいになっているが、本当にそうなのだ。
別にたまたま僕がその日に産まれただけって話。
何とかまだ生きております、ありがとう。
と僕が言わなければいけない日なのだ。
毎年一番初めにおめでとうの連絡をしてくるのは尼川で、それはもはや意地になって恒例化してくれている。
一ヶ月後には彼も誕生日だ。
その連絡を忘れるなよという脅しなのかもしれない。
しかしやはりここでもありがとうなのだ。
バカボンなのだ。
よく親に言われていたことがある。
本当か嘘かはわからないし、関西人特有の話を盛っている可能性もある。
しかし聞いてほしい。
「お前は首に絡まるへその緒を自分で掴んで出てきた」
「もしその手を離していたら死ぬか、何かしらの障害があったかもしれない」
その話が本当だとした僕は生まれる前後で人生最大のビッグプレーをしていることになる。
「でかした!」としか言いいようがないし、産まれてからの人生でこれ以上の「でかした!」を僕が行えたかもわからないレベルである。
幼稚園児の頃、マクドの二階を貸し切ってのお誕生日会。
初めての彼女と過ごした背筋の伸びるレストラン。
馬鹿みたいに飲まされてトイレで眠った東京。
レコーディングで缶詰め状態の中、メンバーが納豆ご飯に刺してくれたロウソク。
色んな十月二十五日が僕を通り過ぎて行った。
そのどれもが愛しい。
でも全然覚えていない誕生日も沢山あって、やはり所詮ただのありふれた一日なんだなと安心もする。
本当にそんなことがあるのか。
それはわからないし、調べる気もない。
「へその緒掴んで産まれてきた時が一番賢くて、あとは育っていくほどにアホになっていった」
へその緒の話には絶対このセリフも付け足される。
一言多いとはこのことだ。
大阪の地元の田舎ではロン毛の金髪のバンドマンなんて宇宙人みたいなものだ。
それでもこの話をしている時の親は僕をまだ首も座っていない赤子を見るような目になる。
いつまでも僕は彼らには敵わないし敵いたくもない。
もっと老いて老いて押せば倒れるような老人になっても敵いたくなんてない。
僕は彼らの前ではいつまでも手のかかる、何を考えてるかわからん、金髪ロン毛のバンドマン。
しかし最後の最後ではきちんとへその緒くらいは握って死にはしない。
そんな頼りないけど、何とかなる息子でいないといけないなと思う。
今日というありふれた日を特別な日にしてくれた両親と、その日をこれまでもこれからも祝ってくれる人たちにありがとう。
もちろんこれを読んでくれているあなたへも感謝を。
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