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[#42] 何とも言えない 『ロングドライブ』
『ロングドライブ』
近鉄南大阪線は僕らのライフラインだ。
東京に来て色んな電車に乗ったが、近鉄電車のシートのフカフカさに敵う電車はない。
駅員さんの制服もかっこいい。
昔の彼女もそれをかっこいいと言っていて少し嫉妬した記憶がある。
窓の景色は奈良の山々を捉える。
だんだん都会になっていく様子はストーリー性があり飽きない。
車窓の枠が額縁のようになり、それはまさに絵画だ。
乗車賃は少し高い。
しかしフカフカのシートとかっこいい制服と絵画の鑑賞券の分と思えば可愛いものである。
アルバイトは心斎橋のしゃぶしゃぶ屋さん。
田舎者の僕は終電が近くなると閉店作業を他に任せて先に帰らせてもらうこともあった。
一人につき一つの鍋を使う店だったもんだから油まみれの鍋を手で洗う。
これが手首になかなか来る。
バイトの中でも男の仕事みたいになっているが、ランチのおばちゃんは僕よりも早く綺麗に洗っていた。
ランチのおばちゃんは昼間も働く僕を可愛がってくれ、いつも手作りのお弁当などをくれる。
そのおばちゃんたちと厨房の裏で吸うタバコが美味かった。
銅鍋を洗うのに使うのがポン酢だ。
洗剤代わりになるのだ。
しかしそれが洗い物をしすぎてパックリ割れた指の傷に沁みて死ぬほど痛くなる。
そしてギターを押さえるのも痛くなる。
それでもランチ前の仕込みから閉店作業まで指の痛みを忘れるほど働いた。
大学を卒業してからデビューまでのフリーター期間。
僕の時間は毎日このように流れていった。
近鉄電車のシートはフカフカな上、冬になると温かくなる機能を搭載している。
ヘッドフォンで僕に蓋をして疲れた体を癒す帰路。
終電に座れることもたまにある。
眠りに落ち、見知らぬ誰かの肩に寄りかかってしまっては会釈した。
窓の景色は反対にだんだん田舎になっていく。
灯りがだんだん減っていく。
その景色とヘッドフォンの音楽が見事にマッチした時は音楽の素晴らしさを再確認できた。
しかし疲れには勝てず景色を楽しむのを諦め僕は静かに瞼を閉じる。
不思議なもんで自分の降りるべき駅が近づくと起きれるもんで。
電車を降り過ごしたことなんてなかった。
瞼を開くとやはり先ほどよりも灯りは少なく、僕が降りる駅が近いことを表していた。
いや、僕の地元よりも更に灯りが少ない気がする。
というか灯りがない。
乗客も少ない。
目を凝らして見た窓の外の景色は人見知りするほど初めての景色だった。
さっきは偉そうに言ったが、人生で初めて寝落ちからの降り過ごしをやってしまったのだ。
ブワッと汗が出たが、どうやらまだ自分の駅を過ぎたあたりで次で降りれば問題ない。
しかし一安心していたのも束の間。
電車は次の駅には止まらずに加速する。
車内の電光掲示板を見ると「急行」と書かれていた。
次止まる駅はどこだ。
僕はどこまで連れて行かれるのだ。
ブワッと出た汗は乾くことなく、次のブワッと出る汗を飲み込み背中で流れる。
電車は奈良に入っていた。
やっと止まった駅で電車を飛び降りた。
永遠にも似た時間に感じた車内からすぐに出たかった。
しかし出たところでタクシーで帰るにしてもいくらかかるのだろうと不安になった。
改札を出てタクシーを拾おう。
そんな僕の目に飛び込んできたのは漆黒の闇。
タクシーどころかコンビニもない。
僕の携帯の画面だけが青々と光った。
その車のシートは近鉄線を越えるほどの座り心地で、安堵も相まって天国のように感じた。
彼は山を一つ超えて奈良まで僕を迎えにきてくれたのだ。
彼だってバイト終わり。
疲れているに違いない。
「アホやな~」と言いながら車のハンドルを握るのはシンタロウさん。
彼は僕のSOSの電話で奈良まで来てくれたのだ。
彼が神様のようにも見えたし、自分が馬鹿に思えた。
特に彼も文句を言わないもんだから余計に自分が情けなくなった。
深夜の奈良から大阪の帰り道の車からの景色は少しずつ、でも多くはない灯りがポツリポツリと増えていった。
そんなロングドライブ。
今日誕生日のシンタローとの思い出。
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