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[#41] 何とも言えない 『一億円』
『一億円』
天才だと思った。
自分のことを。
それは小学校の低学年の頃だったと思う。
社会の授業中にあることを思い付いたのだ。
貧乏でもなく金持ちでもない家に生まれ、両親が離婚することもなく元気に暮らし、幼少時代にいじめにあったわけでもない。
勉強が出来るわけでも出来ないわけでもなく、スポーツも出来るが一位にはなれない。
挙げたらキリがないほどに僕は平均的で普通だった。
社会に出てからというもの、これがコンプレックスとなった。
僕は憧れた人たちが持っている「何か」を持ってはいないのだ。
小さい頃から自分が特別ではないことは何となく気づいていた。
でも小さい頃はその事を見て見ぬふりしていた。
その頃から自分に何も期待はしていない。
何回か期待しては裏切られたから。
でもそれは自虐的な意味ではない。
身の丈を知っているという言葉が正しい気がする。
なのでそんな暗い話ではない。
小学校の授業。
身の丈という言葉は知らなかったが、感覚的に何かを察していた僕は将来の自分に期待せずに夢を「警察官」書いた。
警察という仕事を舐めているわけでは決してない。
しかしあの時は舐めていた。
特別な何かを持っていない僕は公務員というものになれば一生食ってはいけるらしい。
しかもこう書いておけば周りからは安心されるということも何となくわかっていた。
そこには熱意などない。
先生はその後こんなことを言った。
「日本の人口は一億人以上もおるんやで」
警察官どころか、何者にもなれる気がしていなかった小学校低学年の頃の僕に光が射した。
その光の正体というか、からくりはこうだ。
日本の人に一円ずつ貰っていけば一億円になるやん。
こんな馬鹿なことを本気で考えていた。
一円くらいなら誰でもくれると本気で思っていた。
今ならわかる。
お金を稼ぐことの大変さも。
赤ちゃんも子供もホームレスの人もその一億人には含まれているということも。
いや普通の大人の人でも見ず知らずの人に一円くれと言われたらあげるのだろうか。
というかめちゃ怖い。
百円とか千円ではなく、一円ってのが怖い。
このコラムのオチを考えなければならなかった。
見切り発車で日本国民全員に一円貰おうとしてたことを思い出してそれだけを頼りに書き始めたコラム。
ついさっき「ハッ」とした。
国民全員とはいかないけれど、このKITSUのこのコラムがそれに近いことやってるやん。
誰彼構わずに「コラムが素敵だったらご支援お願いします」って。
それにこれを読んでくれている皆さんが支援してくれてるやん。
幼い頃に思い描いた馬鹿馬鹿しい自分のためだけの空想が、少し形を変えて自分以外の誰かのために、誰かがお金をコラムに送ってくれている。
時空を超えて今の僕が過去に戻ったのか、過去の僕が現在にやってきたのか。
夢のような夢じゃない現実に腰を抜かしそうになりながら、その驚きから吃音の症状が出そうになる。
あの頃の自分に何て言ってやろうか。
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