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[#254] 何とも言えない 『A.B.C-Zから放たれる僕の歌詞』
『A.B.C-Zから放たれる僕の歌詞』
コラムも小説も書いているが、引き続き歌詞も書いている。
LEGOの歌詞はもちろん、提供する歌詞だったりコンペ形式のものだったり。
コンペ形式の募集に歌詞を書き採用されなかった歌詞は腐るほどある。
作家だけで食べている人は僕の比じゃないくらい悔しい経験をしていると思う。
彼らも腐るほどの不採用曲があるはずだ。
しかし曲は採用されなくてもストックとしてまた別の機会に提出できるかもしれない。
反対に歌詞はそのメロディに合わせて書いたものなのでストックにはならない。
言葉を生んで、誰も目にも触れずに僕のフォルダに貯まる。
そのフォルダは歌詞の棺桶か。
いや違う。
そのまま使うことはできないが、アイデアや技術がそこには貯まっている。
先日A.B.C-Zのコンサートにお邪魔した。
彼らはまごうことなきアイドルだ。
普段バンドのライブばかり見ている僕としてはその空間自体が新鮮。
ペンライトや演出の派手さに興奮する。
でも一番興奮するのはやはり自分が書かせてもらった歌詞を彼らが歌う時。
数えてみたんです。
僕は彼らに今まで14曲も歌詞を提供させてもらっているらしい。
ビックリすることだ。
10代の僕に言っても信じてもらえないことだ。
信じてもらえないことはいっぱいある。
バンドが来年で20周年なのも、吃音症にまつわるアパレルをやっていることも、小説を連載させてもらうことも、僕なんかに娘ができたことも、アイドルにこんなに沢山歌詞を提供することも。
人生はまじでわからんもんやぞとは言ってあげたい。
自分のバンドでもすごい数の歌詞を書いてきた。
それをボーカルのキンタさんが歌う。
彼は歌が上手い。
自分が歌うわけではないのに、キンタさんが歌うことはまるで自分で歌っているかのような感覚に陥る。
それは僕が歌っているとも言えるし、ベースのシンタロウが歌っているとも言える。
バンドとして歌っているのだ。
しかしA.B.C-Zの彼らが歌うのを聴くとどうだろう。
それは不思議な気持ちにさせてくれる。
なぜ不思議なのかと言うと、基本的に自分が書いた歌詞を客席で聴くことがないのだ。
そしてそれを同じ客席で見ているお客さんが一緒に口ずさむ。
どこにも属していない立場の僕は、自分が書いた言葉が大きな音で鳴るのを聴く。
小っ恥ずかしさと誇らしさが帰り道の僕の足取りを軽くした。
終演後、彼らにご挨拶をさせていただいた。
照れてしまい大人とは思えない対応をしてしまった気がするが、いつだって彼らはナイスガイ。
こんなナイスガイの彼らの口から僕の言葉が放たれていることを再確認して、またこうして文章の海に潜る。
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