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[#250] 何とも言えない 『誕生日における新たな解釈』
『誕生日における新たな解釈』
仕事や、ライブがあってくれたらやることがあって良い。
でも今年の誕生日はツアー中だってのに、土曜日だってのに仕事が休みだ。
あれも欲しい、これも欲しいと物欲にまみれていた頃の秋はもう少し移ろいが見えたように思う。
今では夏から急に冬になるようなグラデーションがなくなっているよう。
それは季節だけではなく、人間の思考もそちらに寄ってしまっているかのようで心配になる。
わかりやすいものに惹かれ、0か100か、白か黒か、右か左か。
極端に物事を考えては分断を生む。
その間にはグラデーションの綺麗な色があるというのに。
もちろん僕も人間なので寄ってしまっている人間の一部で、自戒の意味も込めて書き示す。
洋服や楽器やバイクやご飯。
欲しいものはいっぱいあった。
年のせいで欲しいものがないとは言わない。
今も欲しいものはある。
ただ物欲にまみれていた頃とは違う。
本当に欲しいものだけを手にして長く愛用するような”時間”が一番欲しいのかもしれない。
大阪の羽曳野市という田舎で生まれたヒロキ少年は音楽でご飯を食べている未来を想像できていただろうか。
微塵も想像していなかった。
近所にTSUTAYAが出来て、音楽に出会って、友達の影響も受け、モテたくて、同級生がくれたお古のギターに間違った弦の巻き方で無理やり六本の弦を張った。
突然僕の人生に現れたエレキギターはこんなところまで僕を連れてきてくれたんだ。
いつもありがとうと、これからもよろしくを繰り返す。
毎年。
それは友達でも家族でも仕事でも。
でも去年娘が産まれて一層自分の誕生日はどうでもいいし、誕生日だって自分が主役ではない一日なのだ。
そんな日でも娘は目を離せばすぐに死んでしまう生き物。
かっこいいパパでいようとすることが自分を高めてれると信じて磨く。
そう思わせてくれること自体が娘からのプレゼントなのかもしれない。
ひょんなことから書き始めることになった歌詞。
紙でもPCでも言葉にするといつも何も考えずに言葉を発してしまう僕ではない自分に出会える。
長考して置いていく言葉の説得力に気づいて楽しくなる。
歌詞もコラムも誰かへのお手紙のように書く。
口から出る僕の言葉がいかに良い加減かわかる。
指から出る言葉がこんなところまで僕を連れてきてくれたんだ。
実はまた新たに言葉を紡いでいます。
楽しみにしてて欲しいです。
年を取る。
そんな言い方が当たり前ですし、このコラムにもそう書いた。
でも最近感銘を受けた言葉がある。
「年をいただく」
これは毎年いただくものなんだからありがたくいただいておきましょうという意味。
別に年を取るのが嫌だとも思っていないのだが、この解釈は僕の胸を少し張らせてくれた。
貰えるもんは貰っとこ。
そう思えるし、僕よりも若い人よりたくさん年を持っていると考えると得した気分だ。
でもいただいてばかりはいられない。
いただいたものは何倍かにして返していかないといけないと思っている性分だ。
なのでいつもありがとうと、これからもよろしくを今年も繰り返す。
ありがとう。
よろしく。
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