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[#37] 何とも言えない 『きのこ!きのこ!』
『きのこ!きのこ!』
あれは吃音だったのか?
いや違う。
あれはただ幼くて舌足らずで発音が難しい単語だったんだろう。
ヘリコプターをヘビドクターとしか言えず、家族や親戚が僕を笑った。
でもそれは嫌な気分になるものではなく何だか嬉しいものだった。
大人が僕で笑ってくれている。
そんな気持ちがあったのだろうと思う。
「きのこ!」
親友の四歳の子は僕のことをきのこと呼ぶ。
産まれたばかりの頃からその子とは接してきていて、僕のことを友達かなにかと思っている。
少し言葉が話せるようになった頃、僕はどうしても「ヒロキ」と呼んで欲しく何度も自分の名前がヒロキだとその子に伝えた。
しかし他の人の名前は言えるのに「ヒロキ」は言ってくれない。
友達の「ゲンキ」はすぐに言えたもんだから余計に腹が立った。
その子の母親は僕に気を遣ってか、まだラ行が言いにくいみたいとフォローの言葉を口にする。
めげずに教えていると何故か僕のことを「きのこ」と呼び始めた。
ヒロキときのこは韻も踏めていないし全然違うと思うのだが。
でもまさかの変換に僕や周りの大人が笑ってしまったもんだから調子に乗って「きのこ!きのこ!」と僕を指差す。
わかった。
僕はこの子の前ではきのこでいい。
自分が吃音だとわかってから、人一倍言葉を発する時に緊張が走る。
それでも余計な一言とか言わなくていいことを言っちゃうんだから、それはただの僕のひん曲がった性格なのだ。
これは吃音のせいにしてはいけない。
性格が悪いのだ。
そして頭が悪いのだ。
でも吃音によって人よりはしなくてもいい苦労をしている自負はある。
だから痛みを感じやすいのだ。
人の痛みがわかるとか、人に優しくできるとか偉そうなことを言っているんじゃない。
ただただ、痛みを感じやすいのだ。
それは辛くも尊いものだと思う。
携帯が鳴る。
テレビ電話だ。
僕は冬のツアー中で移動の車内から寒空を眺めている時だった。
電話に出るとその四歳の子が映っている。
「どうした?」
そう聞くとその子はこう言う。
「きのこ!雪!雪降っているよ!」
僕はツアーで東京にいなかったため素直に雪にビックリしたが、それだけで電話してきた四歳児にもビックリした。
本当に僕のことを友達か何かだと思っているのだろう。
でも僕は知っている。
その子はもう歳をとり本当は「ヒロキ」と発音できるはずなのだ。
幼稚園の友達にヒロキ君がいると話していたのも聞いたことがある。
でも彼女にとって僕はずっと「きのこ」なのだ。
いつまで僕のことを「きのこ」と呼んでくれるのか。
いつまで友達だと思ってくれるのか。
コロナが収まったらきのこがカッコよく見えるLEGOのライブに誘ってみよう。
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