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[#242] 何とも言えない 『娘が一歳になりました』
『娘が一歳になりました』
ちょうど本日。
九月一日。
娘の一歳の誕生日。
このコラムは無事更新されているのだろうか。
自動更新をミスってなければ更新されているとは思うが、その告知をSNSで出来ているのか不安が残る。
なぜなら今頃パーティーの最中だろうから。
まあ、パーティーとは言っても一歳の子の会なので質素にやるんでしょう。
何をするのか僕は理解していないのだが、この日の夜は仕事を入れるなと言われている。
言われなくてもさすがによっぽどのことがない限り仕事や予定は入れない。
そりゃだって世界で一番大切な日なんだから。
幸せアピールをしたいわけじゃなくて。
ただ、一人のバンドマンが幸運にもデビューできて、応援してくれている人がいて、共に歳月を重ねて、勝手に同志みたいにお客さんのことを思っているわけです。
そんな仲間の一人に子供ができて大変ながらも楽しそうにやってるなーと思ってもらいたいというか。
そんな人には共有できたらないいなというか。
ある一人の男の自然体な人生を、生き様を見てもらえたらいいなというか。
他のメンバーお二人さんはそんな気配もないので。(爆)
間違いない。
この一年は今まで人生で経験した中でダントツで一番時の流れが早く感じた一年だ。
体感三ヶ月。
こないだ産まれて、こないだ首が座って、こないだ寝返りできた。
くらいのタイム感に感じている。
そして僕自身も考え方が変わった。
自虐ではなく”僕にはもう時間がないのだと”思えるようになった。
それは年を取ったからではない。
たぶん二十歳で子供が出来ても同じことを感じたと思う。
自分のためだけに時間を使う人生は持て余すかもしれないが、子供のために時間を使う人生になると時間が足りないのだ。
先に言っておくと。
子供がいない人はいない人で、それはそれで素晴らしい人生を歩んでいると思う。
少子化が進む日本ではそんな人も多いのかもしれない。
なので子供がいたっていなくても幸せなら素晴らしいし、子供がいてもいなくても幸せじゃない人もいるかもしれない。
実際同い年のメンバーが二人とも独身で子供がいない人生を謳歌している。
人生を謳歌することだけが人生の目的で、そのプロセスは十人十色。
”たまたま”僕のプロセスには子供がいるというだけ。
”紙一重”で子供がいない人生もあったとも思う。
去年奥さんがインスタに綴っていた。
僕らは今の娘の前に心拍確認後の流産を経験した。
この世の終わりほどの悲しみに襲われる日を経験をした。
だから”紙一重”だと先ほど言ったんですが、本当に奇跡や偶然が重なって産まれてきてくれた目の前の娘には存在しているだけで感謝なのだ。
だからこの九月一日という日を死ぬまで忘れないのだ。
まだ性別も分からないまま会えなかったあの子のためにも。
僕はまだまだ謳歌するつもりです。
娘にはそんな僕の何倍も人生を謳歌してほしい。
元ドラムの大ちゃんの子供を思って歌詞を書いた『カーラ』という僕らの曲があります。
何も分からないまま、ただがむしゃらに思いを歌詞にした若造の僕。
改めて歌詞を読んでみる。
あの頃の若造の僕、まあまあやるやん。
よく書けている。
このコラムを読んだ後に歌詞を読んでみてほしい。
昨日バンドの生配信があり、今日が娘の誕生日だと覚えてくれていたファンの方がお祝いのコメントをくれた。
そこからコメント欄は他のたくさんの皆さんからおめでとうのコメントで溢れた。
照れ臭くて、手短なお礼しか言えなかった。
でも実は本当に嬉しくて嬉しくて、一瞬で涙腺が崩壊しそうだったんです。
ただでさえすぐに泣く僕なんですが、娘のことになるとただの垂れ流し原泉のような涙腺になってしまうので。
改めてコメントをくれた皆さんありがとうございます。
そして僕からも。
僕の大切な娘よ誕生日おめでとう。
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