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[#235] 何とも言えない 『感謝祭なんて言うといつもは感謝していないみたいじゃないか』
『感謝祭なんて言うといつもは感謝していないみたいじゃないか』
強調すると、逆にその他が弱く見えてしまうってあるよね。
”今日のご飯美味しい!”と言うといつも美味しくないってこと?って思われたり。
慌てて”ほんまに!”なんて追加で付け足してもまたそれが嘘くさく見えたりして。
ありがとうを普段から言ってるのか、言っていないのか。
それは自分ではわからない。
何回言ったかなんてどうでもよくて、それが相手に伝わっているかが重要だから。
100回言っても届かなければ意味がないし、1回言って伝わったならそれは感謝が届いたことになるでしょう。
伝わったとしても”言い方”で心に届くかどうかも変わる。
僕のようにアマノジャクで照れ隠しで斜に構えたような発言だと誠意が見えないかもしれない。
でも馬鹿みたいに素直にありがとうを連呼しても軽いものに聞こえるかもしれない。
良い塩梅って難しいね。
どんな丁寧に伝えても”口だけなら何とでも言える”と言う人もいるだろう。
でも気持ちはわかる。
僕らは昨日感謝祭を行なった。
それは普段のライブではできないことをやるという感謝の表し方をしているつもりのライブ。
今までは対バンのバンドの曲をカバーさせてもらって感謝を表した。
お客さんにも対バンのバンドにも。
それが今回はどうだ。
4人ものゲストを招いてしまったもんだから4曲をカバーするのだ。
これはえらいこっちゃ。
でもそのままコピーしても面白くないのでピアノや管楽器で鳴らしている音をギターで弾いてみたり。
LEGOのフレーズを忍び込ませたり。
楽しく音楽やれた気がする。
”楽しく”ってのは実は難しいものです。
楽屋はずっと誰かが爆笑している。
いつものワンマンライブの楽屋なんて静かなものなんです。
でもゲストが4人もいると賑やか。(基本的に田邊がうるさい)
本番前からもう僕は感謝しかなかった。
これはバンドを長くやらないと見れなかった景色だ。
楽屋を見てそんなことを思うなんて変だけどいい景色だった。
本番は言うまでもなく素晴らしい時間だった。
ステージから見えるお客さんの顔。
ステージ上の顔。(僕の立ち位置的に横を見るとメンバーとゲストが一望できる)
袖にいる仲間の顔。(出番ではないゲストやスタッフ)
右端でギター弾いている僕にしか見れない景色が確かにそこにあった。
昨日もらった恩はそう簡単に返せそうにないけど、20周年という特別な期間にゆっくりと恩返ししていきたい。
終演後。
楽器など片付けて楽屋に戻るとそこはもう居酒屋。
スタッフに怒られるまでずっと宴会だった。
シンタローがおもろかった。
そして車で家まで送ってくれた杉サンキュー。
ツアーが発表された。
僕らは音を鳴らして生きてきた。
これからもそうありたいから全国に鳴らしに行く。
鳴った音があなたの耳に届かないと意味がない。
お耳貸してくださいね。
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