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[#234] 何とも言えない 『あれは熱中症だったんだ』
『あれは熱中症だったんだ』
こんなこと言うとおじさんみたいで嫌なんですが。
昔は”熱射病”と言ってませんでしたか?
調べたところによると熱射病でも日射病でも、2000年からそれら全てを”熱中症”に統一したみたいです。
今では普通ですが確かに統一した直後くらいの時期は熱中症という言葉に違和感というか慣れない感じはありましたね。
もう少し先の未来では夏にフェスをやるなんて信じられない時代になるのかもしれませんね。
「真夏に外で朝から晩までライブ!?自殺行為やん!!」
みたいなことを未来の若者に言われるのかもしれない。
「電車や飛行機の中でタバコ吸ってたん!?」
と昔の話を聞いてビックリする僕のように。
熱射病になったことがある。
大人になってからは熱中症気味はあっても倒れるほどのガチなやつは経験がない。
でもガチな熱射病になったあの記憶は鮮明だ。
それは保育園時代。
僕が覚えている一番古い記憶かもしれない。
だからこれから書く内容は僕の記憶違いなどたくさんあるかもしれない。
だとしてもそれは僕にとっての最初の記憶として残しておいてもいい気がしている。
それは初めて僕が作った妄想なのだから。
通っていた保育園は変だったのか。
それとも時代のせいか。
園内にはクジャクがいた。
よく羽を拾っては「キレイやキレイや」と振り回していた。
でも途中で亡くなってしまいその檻には誰もいなくなった。
それがすごく悲しかった記憶がある。
僕の保育園には書道の時間があった。
その時間だけ先生が変わり男性の痩せたお爺さんが先生になる。
書道の先生は片手が義手で子供ながらにその義手の肌色の違和感を覚えている。
でもそれ以外の授業の内容や何の文字を書いたかとか書道にまつわる記憶は全くない。
そんなお爺さんの先生が年長さんの時に亡くなった。
お葬式に園児全員で行くわけにもいかず代表の園児が数名行くことになった。
なぜかその数名に選ばれ人生初のお葬式となった。
まず思ったのが”選ばれた僕らだけ遊びに行ける”だった。
そうじゃないお友達たちはいつも通りの保育園のカリキュラムで、僕らだけ非日常。
何だか特別な日な気がしてワクワクした。
当日は快晴。
住宅街の壁に沿うように日陰に列を成して保育園の先生と手を繋ぎ自分たちの順番を待っていた。
軒先から咲く花が綺麗で夏にはこんなにも植物がイキイキしているのだと知った。
そんな景色と人が亡くなったというイキイキとは正反対の状況のギャップを今でも言語化できないがその時も何かを感じていた。
啜り泣く声が聞こえ、幼心に僕も泣かないと非情な人間に見られてしまうのではないかと焦った。
その時、急に体の力が抜けしゃがみ込む保育園時の僕。
息が荒くなる。
あれ?体が重い。
しゃがみ込んだまま動けない。
周りの引率の先生たちが僕を見て慌てている。
僕はその様子を見て申し訳ない気持ちになる。
「お茶お茶!」
という誰かの声が聞こえた気がするが、これは幻想かもしれない。
ブラックアウト。
気づけばいつも昼寝をする部屋に僕だけが横になりタオルケットがかけられていた。
葬儀に参列したお友達はきちんと仕事を全うしたことだろう。
そうじゃないお友達は横の部屋でいつも通りきちんと保育園のカリキュラムを全うしているだろう。
僕だけが何も全うせずに倒れ、寝ている。
何も全うしていない。
選んでくれた人にも、慌てさせた先生にも、何よりも亡くなった書道の先生に申し訳なくて。
タオルケットを頭までかぶり泣いた。
僕はすぐに泣く。
「熱射病になっちゃったみたいで」
先生が迎えに来た親に言っていた。
寝たし、泣いたし、水分摂ったし。
その頃には僕の体は回復しまくっていてケロッとしていた。
心配そうに僕の顔を見る親に強がって見せた。
「頑張ったんやね」
オカンがそう言った瞬間にまた泣きそうになって後ろを向いた。
自分に子供ができた。
体温調節も水分補給も苦しいと訴えることも。
自分では何もできない我が子を眺める。
僕の顔が面白いのかケラケラ笑っている。
初めての夏を経験しようとする娘を守ってやることは簡単じゃないなと、自分で苦しいと言えるのに熱中症になった保育園の頃の僕が教えてくれる。
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