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[#233] 何とも言えない 『言葉にできない』
『言葉にできない』
小田和正さんもびっくり。
吃音症の人は違う意味で言葉にできないんだから。
何でこんなことを急に言っているかというと症状が軽度の僕だからこその悩みがあるのだ。
症状が重い人は明らかに発話に問題があることが会っただけでわかる。
彼らは特に苦しんでいる。
軽度の僕には想像もできないくらいの苦労をしていると思う。
僕はというと。
よく言われることがある。
「ヒロキさん全然吃音だとわかりませんね」
これはフォローの意味だったりポジティブな意味で言ってくれているのは理解してるし嬉しい。
でも吃音における苦労や悩みがないかというとそんなことはない。
言い換えなどで誤魔化しているが言いたいことを言えないこともある。
電話したくても出来ずにやり過ごすこともある。
大阪のPOP UPで素敵な出会いが沢山あった。
「うちで講演会みたいなのをしてくださいよ」
なんて嬉しいお話をもらった。
吃音者が講演会ってのも面白い。
とにかく僕がどこかしらでお話をする機会を貰えるかもしれない。
その上で自分が軽度の吃音症であることの難しさを再考したのだ。
その講演会を聞いてくれる人たちには伝わるのだろうか。
言葉にできるのだろうか。
それは吃音者であるという意味と、僕の足りない脳で言葉に出来るのだろうかという意味と、軽度な僕に説得力があるのかという意味。
それぞれの意味で不安がある。
でもそれらすべて楽しみであるとも言える。
バンドマン、作詞家、吃音者、KITSUの代表など。
色んな顔を持ってしまっている時点で散らかって分かりにくい人間の僕だ。
どの立場から話せば良いのだろうか。
色んな立場があるからこそ話せることもあると信じたい。
いやいや、というか吃音者が”話す”ことを目的としている講演の時点で面白いことなんじゃないか。
一人こんなことを考えていると頭がグチャグチャになる。
「あざす!」とか「おおきに!」
POP UPで来てくれた人にお礼を言う時に親しみを込めてこんなノリのお礼を言ったことも沢山あると思う。
「ありがとうございます」ときちんと言える時もあるけど、「ありがとう」の「り」が言いにくい時がある。
毎回ではない。
でも本当は毎回「ありがとうございます」ときちんと言いたい。
心では悔しい思いをしながら照れ隠しの軽いノリ風を装い「あざす!」とか言っちゃう。
心では心からの感謝を持ち合わせているんです。
本当は。
言葉にできないのだ。
いや言葉にできない時があるのだ。
言葉にできないなんて今に始まったことではない。
だからバンドやってるし、歌詞を書いている。
ライブのMCでもきちんと思いが伝わったことなんてないんじゃないかとも思う。
仕事でも、プライベートでもいつも言葉足らずで、いつもいらんことを言うてしまう。
吃音なんて関係ない。
吃音を言い訳に使うのだけは避けたい。
でもたまに知らぬ間に言い訳にしている時がある。
それだけは避けたいのに。。。
こんな自問自答を繰り返した先に答えがある気がする。
その答えも100%の正解ではなく、”正解に近いもの”な気がする。
その当日までにその”正解に近いもの”を見つけて、”正解に近いもの”を握りしめて大阪に向かおうと思う。
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