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[#209] 何とも言えない 『KITSUからの新年のご挨拶〜こんにちわ2025〜』
『KITSUからの新年のご挨拶〜こんにちわ2025〜』
明けましておめでとうございます。
今年もKITSUをどうかよろしくお願い申し上げます。
たぶん去年のコラムでいかに僕がお正月が好きかを書いたかと思う。
今年も変わらず好きだ。
でも生きていくうちにお正月の様子は変化していく。
新しい家族が増えたり、いつも会っていた人が亡くなってしまったり、小さかった子供が生意気になっていたり。
でもそれらも人生。
また今年も僕らは来年のお正月に笑って会えるように生きていかねばならない。
お正月は実家に帰るのが通例でした。
今年は帰らなかったんです。
理由としては生後四ヶ月の赤ちゃんを連れての帰省ラッシュはなかなか辛いかなと。
絶対に大変でしょうよ。
何年振りかの東京でのお正月。
往復の新幹線代、大阪の甥っ子姪っ子たちあげるお年玉が浮く。
これはデカい!
とは言っても本当は会いたい。
でも今年は諦めよう。
いざ東京で過ごすとお正月もただの日常だ。
何をしたらいいのかわからない。
こうしてコラムを書いたり残っている作業をしてみる。
いつも通りだ。
意味もなくつけているテレビだけが正月を教えてくれる。
いつもなら実家の布団で起きてリビングに行くとおせちの匂いがして、それに釣られるように親戚が集まってくる。
テーブルには正月用のお箸と、酒と子供たち用のジュースが並ぶ。
今どき石油ストーブにヤカンを乗せている実家にも驚くが、子供たちが来る頃には危ないので火を消してエアコンの暖房に切り替わっている。
子供の頃はおせちなんて全然嬉しくなかった。
食べたいものがない。
それならチキンラーメンを出してほしいくらいだった。
でも今ならわかる。
おせちって何か良いよね。
僕は本日が仕事始めとなります。(予定では)
今月からいきなりデカいツアーがあるんです。
KITSUの作業も残っております。
それぞれ全て全力でやりますので、どちらも楽しみにしておいてもらえたら嬉しく思います。
KITSUで言うと未だに僕自身が梱包、発送をしているのを驚かれることがある。
たくさんPOP UPや通販で買ってもらうとそれだけ作業が増える。
この作業がとても好きだ。
その数だけ吃音が広まっていることを実感できるからだ。
広まりとは目で見えない。
だからこそその作業は可視化されたみたいで嬉しい。
北海道から沖縄まで僕が不器用ながらも梱包したアイテムが届くのだ。
信じられないことだ。
年始から僕はバンドのツアーで全国に旅立つ。
僕自身が北海道から福岡まで出向く。
もう二十年近くこのような仕事をしている。
しかしその様子も年々変化していく。
遠足気分だったデビュー当時。
昔は何も考えていないことだけはわかってもらえるかと思う。
現在はそんな浮かれた気分はない。
ワクワクと責任感と恐怖が混ざった感情と言えばわかってもらえるだろうか。
今はこれは喜んでくれるぞって思いと、いや喜ばさないといけないって思いと、チケット売れてなかったらどうしよって思いなどなど。
今はアホなりに色々考えている。
正月感が薄れてくる。
三が日を過ぎるとこんなもんか。
でもそれが寂しい。
お正月は皆んながおおらかで僕はその雰囲気が好きなんだ。
つまり逆に言えばお正月じゃなかろうが皆んながおおらかならそれで良いのかもしれない。
色々考えるのも必要だが今年は僕自身がおおらかでありたいと思う。
それが目標だったりする。
すぐにイライラしちゃうから。
吃音のことだっておおらかでいた方が伝わることでしょう。
まだお正月の匂いが残っている今のこの気持ちを年末まで持ち続けたいものです。
ツアーもあるけど東京以外でPOP UPやりたいね。
正直東京でやった方が経費も抑えられるし、売上も良い。
でもやっぱり生で見てもらいたいし、触れ合いたい。
計画しますね。
人生について考えます。
最近は特に。
昔みたいに何も考えてない時代もあっていい。
今はそうじゃない。
考えた先にはいつも誰かしらに助けられている僕が見えます。
今までもこれからも僕は人に助けられて生きているのです。
ダサ過ぎる。
でもその分誰かを助けたい思いは人一倍なんだと思います。
これを読んでくれている人も僕を助けてくれています。
お世話になります。
本年も宜しくお願い申し上げます。
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