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[#192] 何とも言えない 『ステージで暴れてるロン毛がパパになったとさ』
『ステージで暴れてるロン毛がパパになったとさ』
奥さんが壊れてしまう。
奥さんが死んでしまう。
そう思って怖かった。
見たこともない姿で苦しんでいる。
聞いたこともない声にならない声で痛がっている。
僕は何かやることがないかと探すも全て助産師さんの邪魔になってしまいそうで怖かった。
窓もない部屋でSEIKOの壁掛け時計だけを定期的に眺めた。
言われていた時間が過ぎても思うように産まれてこない。
それはつまり奥さんが苦しむ、痛がる時間が伸びるということ。
見ていられないけど目は背けない。
地獄ってもっと自分に降りかかるものだと思っていた。
でも大切な人が死ぬほどが苦しみ、痛む状況を目の当たりにしたこの景色がまさに地獄なんだと知る。
こんな真っ白な部屋の地獄なんてあるのか。
久々に徹夜をした。
十七時間立ち会うことになるとは。
ずっと立ちっぱなしの僕の足はガクガクで、ずっとうちわをあおいでいた手は筋が痛い。
でもそのしんどさなんて出産をした女性と比べるまでもない。
彼女たちから見たら蚊に刺されたよりも軽い。
つまり何もないに等しいことだと思う。
朝、僕だけ家に帰る。
意外にも猫は怒っていなかった。
丸一日家を空けたのにだ。(うちの猫たちは犬くらい甘えん坊なんです)
一応山盛りのご飯を入れていったが半分くらいが残っていた。
シャワーを浴びて少し仮眠を。
と思っても脳が覚醒していて寝れない。
もし親が死んでも安眠できるんじゃないかというくらい睡眠に貪欲な僕でも寝れないなんてことがあるんだなと自分を見直した。
気づいたら二時間だけ気を失っていた。
起きたら猫は流石に怒っていた。
お腹が張ってはイキんで。
これを何回繰り返しただろうか。
途方もない。
でもSEIKOの時計は進んでくれない。
その度に奥さんが死んでしまうと本気で思った。
こんな死を感じる状況で命が産まれるのか。
死から生へ。
男は無力だと。
よくそう聞いていた。
それは何だか負けなような気がしてやることを探した。
それらがプラスになっているのかもわからないが。
奥さんが僕を見て手を差し出す。
唯一夫ができることを求められている。
僕はそっとその手を握り返した。
すると。
「違う!水!」
と怒られた。
彼女は水が欲しかったのだ。
とても恥ずかしかったし、爆笑しそうなほど面白かったが、そっとストローが刺さるいろはすを差し出した。
奥さんや助産師さんが笑ってくれたら僕は成仏できるのだが、二人はそれどころではないことは理解しているので一人顔を赤らめた。
産まれた後はタクシーで帰らないとな。
そう思っていたけど牛歩で進む時計は始発どころか普通に電車が走る時間を刺す。
もう欠伸も出ない。
助産師さんが先生を呼ぶ。
あぁこの地獄のような時間はもうすぐ終わるのか。
地獄なのに少しだけ名残惜しい気持ちになったが、これは何も痛くない男の都合のいい話なんだろう。
そこからは一瞬。
地獄という坂を登るジェットコースターが頂点に達し、急降下で天国へ突入する。
ジェットコースターのフワッとする感覚がずっと続いている。
今も。
2842g。
うちの猫は8kg。
初めて外の空気を吸い込んで細い声で泣いた赤ちゃん。
僕は大号泣するんだろうと自分で思っていた。
すぐ泣くタイプなので。
でもそれが違うくて。
ずっと会いたかった我が子を見て、産声を聞くと涙がスーーっと流れただけ。
その会いたかった一人に会うだけで、今まで出会った全ての人への感謝が涙よりも溢れた。
奥さんはもちろん、これを読んでくれている人もそう。
会ったこともないご先祖様まで。
僕にまつわる全ての人へだ。
なんかスピリチュアルな話みたいですがそうじゃないよ。
あゝ父になったのか。
ここからは親バカという妖怪に変化(ヘンゲ)し今に至る。
ずっとかっこいい男になりたいと思っている。
でもそこに新たにずっとかっこいいパパでありたいが加わった。
ステージで暴れてるロン毛がパパになったお話。
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