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[#188] 何とも言えない 『実は僕も。。。』
『実は僕も。。。』
「俺もよく言葉を噛むんだよね」
KITSUを始めてからよく言われるセリフだ。
「俺のこれも吃音症なのかな?」
悪気もないし、僕のことを気遣って言ってくれているのかもしれない。
でも僕は心の中で「噛むとか、そういうことじゃないねんなぁ」と思いながらも口では「どうやろなぁ」と言う。
ワンマンではなく対バンライブだと当たり前だがいつもより人が多い。
メンバーさん、そのバンドのスタッフさん、LEGOに吉田さんがいるようにサポートミュージシャンなどなど。
夕方の五時に会ったとしても「おはようございます」と挨拶する。
あれはなんなんやろか。
大きく沢山の機材を皆んなで運びながら挨拶を交わす。
ライブハウス自体のスタッフさんも居るので初めは誰が誰かわからないこともある。
でも十年以上もライブやってるのでよくライブするライブハウスのスタッフさんの顔はわかるのだ。
この業界の人たち全員に幸せになってもらいたい。
たまに言ってますが。
僕はKITSUを始めてから吃音の症状が減った気がする。
もしくは吃ってはいるが僕がKITSUを始めたことによって気にしなくなっていってるのかも。(その場合は吃音をスルーしてくれている人に感謝)
やっぱり全員が全員コンプレックスを公にすれば生きやすくなるなんて思わんが。
僕は自分の少しの勇気で自分が生きやすい環境を作れたと思っている。
そう思うとお節介ながらも”あなたもどう?”と思ってしまうのだ。
吃音に限らず。
空気は悪くない。
ライブハウスも昔のようにどこでもタバコを吸えるわけじゃない。
ありがたい。
昔は楽屋が煙すぎた。
そこで食べるご飯は不味いし、お気に入りの衣装も一瞬でタバコ臭くなったものだ。
ワンマンの楽屋は意外に静かだ。
もはやメンバーやスタッフと話すこともない。(仲が悪いわけではない)
しかし対バンは違う。
初めての人や久々の人、会話が弾むのだ。
昔は若く人見知りで隅っこにメンバーだけで片寄合っていたが、そんな時間は勿体無いと気づく。
この社交性を若い頃にもっと発揮していたら先輩後輩にもっと慕われていたのかもと思うと悲しい。
それでも相手が人見知りだったりコミュニケーションを取りたがらない人もいるだろう。
そんな人を見分ける能力もついた気がする。
歳を取るって怖いね!てへぺろ!
吃音がある。
なんてことはステージでは考えたことがない。
多分LEGOBIGMORLと言う鎧が僕を武装してくれているのだ。
でもたまに対バンのバンド名やライブハウス名や地名が”タ行”だと言い換えをしている。
でもこれもたぶん無意識。
もしくは勢いで言えちゃうこともある。
だから人によっては僕にこう言う。
「喋れてるやん」
僕はこう返事するしかない。
「うん、喋れる時もあんのよ」
たぶん吃音者は理解してくれると思う。
そして僕は思う。
誰が悪いとかではなく”そりゃ吃音の認知は向上しないよな”と。
だってたまに喋れちゃうんやもん。
ライブが無事終わる。
大量の機材を持ってきているのは自分なのにその片付けが死ぬほどめんどくさい。
夏休みの宿題は先に終わらせるタイプだった僕はすぐに嫌々ながら機材をまとめる。
恐らく宿題は夏休みの最終日に全部やっていたであろうボーカルの機材はそのままだ。
今すぐにでもライブができる状態。
自分のやることは終えたので対バンのメンバーとの談笑。
するとそのバンドのスタッフさんから話しかけられる。
今日は彼とは挨拶しかしていない関係性だ。
何か打ち上げの手配の相談かな?
と耳を傾ける。
すると今日のライブの達成感と同じくらい嬉しい言葉が耳に放り込まれた。
「実は僕も吃音なんです」
彼が吃音なのが嬉しいわけじゃない。
当たり前だ。
そのことを僕に伝えてくれたこと。
僕がKITSUの活動をしていることを知ってくれていること。
仲間がいたこと。
それらの理由から嬉しくて、なんで今日という終わりに言うんですか!もっと早く言ってくださいよー!
なんて僕は興奮して言う。
興奮していたので早口で吃っていたかもしれないがとにかく嬉しかった。
「わー!!!届いている!!!」
こんな思いが僕の身体中を血液と一緒に駆け巡る。
対バンはこうでなくちゃ。
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