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[#186] 何とも言えない 『love light〜愛の光〜』
『love light〜愛の光〜』
LOVEと大文字で書くには勇気が必要だった。
LOVEだと幼稚に見えるなんていう言い訳をしてみたけど、実際は大文字で書いたLOVEという大きな存在に飲み込まれそうで僕の器では抱えきれないと思ったからに違いない。
「光」
便利な言葉だ。
数え切れないほど世の中の歌詞に使われているこの言葉は確かに便利だ。
希望や夢のことを光に置き換えて書かれていることが多いのかもしれない。
僕も作詞でよく使う。
しかしそういう使い方よりも「光を物質としてではなく、でも確かにそこにあるもの」
そういう光をこの曲では描きたかった。
光ったり消えたり。
目には見えないけどそこにあると断言できるもの。
喜怒哀楽、匂い、優しさ、暖かさ、痛み、時間、空気など色んな目には見えないものがある。
でも本当は一番初めに思いついたものがある。
愛だ。
照れなのか、恐れ多いのか思いついたと同時に頭の隅に追いやった。
でも何かから逃げている自分を許せなかった。
「鍵はポストに入れといて」
言った通りに鍵はあった。
東京の一人暮らしにも慣れ、溜まりまくりの洗濯物を夜から洗う僕は隣人に嫌われていただろう。
今にも部屋から出ていきそうに洗濯機は暴れている。
何か食べようかと思うが僕ができる料理は食品に火を通すためだけにひたすら焼くという行為。
フライパンのネジが緩んで取手はグラつく。
外では野良猫が喧嘩をしているのか営んでいるのか。
奇声が聞こえる。
突っ張り棒の力が強すぎて壁が少し歪んでいる。
退去の時に修繕費用を払わされるだろうか。
昨日泊まっていった人は律儀に部屋着を畳んで帰っていた。
その人からの連絡を無表情で流し読み、携帯をベッドに投げた。
「こんな部屋で愛を描けるはずもないよな」
パソコンを持って近くのカフェに向かう。
コーヒーはいつも少しだけ残してしまう僕だ。
書き上げた歌詞を読む。
こんな心でもそれなりの悪くもない歌詞をかけてしまう自分を嫌いになりそうになった。
帰宅して泥のように眠った。
干すのを忘れられている洗濯物が詰まった洗濯機に気づいた朝はどんなに晴れでも気分は最悪だ。
心がちぎれそうになる切ない愛もあるだろう。
とろけてしまいそうに包んでくれる愛もあるだろう。
でもどこか他人事な僕は本当の意味で人を愛したことがないんじゃないかと不安に襲われる。
嬉しいことや優しいことばかりが愛ではないらしい。
あの頃を思い出してしまう。
君が僕についたあの嘘も愛だったらしい。
愛とは超難関大学の試験のように難しい。
僕は側にいるだけでよかったのに。
愛を歌う曲はありふれていた。
きっとこの先もありふれる。
そんな曲に救われる朝もあるし、反吐が出る夜もある。
あの人はあの曲が好きだったなと思い出す。
あの曲はありふれた愛を歌った曲だろうか。
それとも特別な愛を歌った曲だろうか。
僕は愛を書けずにいた。
あの頃は君に触れるだけで愛とはなにかわかった気がした。
でも君はそれを見せてと僕に言った。
僕はどうすることもできずに、君の側にいる時の僕はそれそのものだよと心から思っていたが口にはできなかった。
今話したことをそのまま書けばいいよ。
小林さんは僕に言った。
愛の曲をたくさん作ってきた人だ。
「歌詞は教科書じゃない。お前が迷ってるならその迷いを書けばいい」
僕は言った。
「え、そんなことして良いんですか?」
小林さんが笑っていた。
僕はまだ何も書けていないのに何か勝利に近いものを感じた。
もし愛なんてものに形や体積があるとすれば。
それはかさばって仕方ないのだろう。
真っ直ぐな愛も、歪んだ愛もこの世には溢れている。
そんなものが目に見えてしまったのなら、それは人口とは比べ物にならないくらい増加し地球からはみ出してしまうんじゃないか。
馬鹿馬鹿しい僕のこんな話を小林さんはまた笑ってくれた。
あの頃の君がこれを聞くと笑ってくれるだろうか。
離れた場所にいる君が「love light」をもし聴いたのならどんなこと想うのかは興味がある。
消えたりもするが光る。
確かにそこにある。
loveをいつかLOVEと書けるだろうか。
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