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    [#182] 何とも言えない 『街と注射』

    KITSU

    2024/07/01 19:00

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    『街と注射』

     

    病院を探していた。

    専門の病院を。

    口コミとか評価をきちんと読む僕はいかに病院が苦手かわかる。

    なるべく優しい先生がいるところがいい。

    いいところを見つけた。

    それは偶然にも前に住んでいた場所の近く。

    吃音が出まくりながらも電話して予約をした。

    久しぶりにあの街に行くのか。

     

    馴染みの街並みを歩く。

    住宅街にある病院はいつも通っていた道でないといけない。

    慣れたものだ。

    あの野良猫には会えなかった。

    あのコンビニの店員は変わらずだった。

    あの古い家が更地になっていた。

    あの定食屋の老夫婦は元気にカツカレーを提供していた。

    「知ってる」と「知らない」の中を歩いた。

     

    病院も夫婦と受付の女性だけの個人経営的なところだった。

    色々検査をする中でも僕が痛い痛いと言うと先生と助手の奥さんは笑っていた。

    僕は笑えないくらい痛いのに。

    「田中さんは痛がりだねー」

     

    何回か通院したが、軽い手術をすることになった。

    話を聞くともっと痛い治療らしい。

    絶対無理だ。

    先生も田中さん絶対無理だねーと言っている。

    二人で診察室で笑い合ったが、笑っている場合ではない。

    手術当日は朝から部分麻酔をして、ウトウトする注射をするらしい。

    以前人間ドックでウトウトする注射が全く効かなかった経験があったことを先生に何度も念を押した。

    「僕を舐めないでください」

    こんな冗談も言える関係にはなっていたが、僕としては冗談ではなかった。

    本当にあの人間ドックの胃カメラがトラウマになっているのだ。

    これについてはまた別のコラムで書きたい。

     

    気付けば終わっていた。

    ウトウトする注射はウトウトどころか僕を爆睡させた。

    痛みもなく何の記憶もない。

    呆気に取られるほど。

    助手の先生の奥さんが「あら起きたのね」と僕に笑顔で話しかける。

    「爆睡してました」

    僕がそう言うと奥さんは笑う。

    「田中さん寝ながら色々お話しされてたよ」

    なんだって?

     

    僕はすぐに愛着が湧いてしまう。

    前に住んでいた街にある病院。

    病院に行くのは辛いけど、その街に通えることが少し嬉しかった。

    その思いは麻酔の注射をしても口からはみ出ていたらしい。

    「あそこの定食屋が美味い」

    「あのコンビニの近くに住んでいた」

    「そこによく居た野良猫が死んでしまったらしい」

    「あのスーパーは肉が安い」

    偉そうにウトウトしながらこんなご近所情報をずっと話していたらしい。

    先生夫妻もご近所なら知っていることかもしれないのに。

    それでも「へー!そうなんだ!」と返事してくれていたらしい。

    それら全て手術中のこと。

    僕は無意識の中、確実にこの街への想いを語ったのだ。

     

    「失礼なことやお恥ずかしいこと言ってなかったですか?」

    そう言う僕に大丈夫と笑顔で返してくれる奥さん。

    安堵した。

    それも束の間。

    段々と痛くなる身体。

    麻酔がゆっくりと切れてきて僕は時が過ぎるのを待つしかなくなった。

    悶絶。

    窓から見える懐かしい街、景色。

    この街が嫌いになりそうな痛みだ。

     

     

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