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[#179] 何とも言えない 『献杯』
『献杯』
笑ってはいけない時こそ笑えてくるのは何なんだろうか。
それの代表格がお葬式じゃないだろうか。
不謹慎なことを言って申し訳ない。
でもそんな状況を経て、自分が笑いものになるとは思ってもみなかったのだ。
親戚のおじさんが喪主を務める。
気丈に振る舞っていたが最後の挨拶では感極まる場面も。
大往生なのだから悲しむ必要もないのかもしれない。
でも故人との思い出や、故人から貰った多くの物や経験。
それをみんなでもう一度噛み締めるような素晴らしい最後の挨拶だった。
笑顔で泣いて。
笑顔で悲しんで。
あなたがいなければここにいる人全ては存在しないわけで。
もう学生服ではなく自前の喪服を着る。
とは言っても大人になっても当分喪服を持っていなかった。
友達に借りていたのだ。
でもさすがにサイズの合わない喪服を着て参列することに恥ずかしさを覚えた。
そう思えることの遅さにも恥ずかしいさを覚えないといけない歳だった。
でも未だにネクタイの結び方はよくわかっていない。
いつも適当に何回も結び直した先にたまたま成功がある。
一緒に買った革靴も本革。
そのくせに僕に靴擦れをもたらす。
勘弁してくれ。
お葬式後の食事処では瓶ビールが並ぶ。
刺身用の醤油皿に人数分の醤油を入れる。
誰もが悲しみを引きずりながらも、笑顔で冗談も言えるくらい落ち着いてきた頃合い。
堅苦しい黒いネクタイを緩めた。
喪主のおじさんが遺影の前に立ち、グラス片手に語り出す。
クスッと笑え、それでいてその場にいた皆んなすすり泣く。
素晴らしい挨拶を終えたおじさんが最後にグラスを掲げた。
「献杯!」
僕は作詞家をしている。
それなのに世の中の人よりも言葉を知らないという自負がある。
簡単に言うとバカなのだ。
逆に言うとバカでも歌詞は書けるのだ。
何でこんな話をしているのかと言うと。
おじさんが「ケンパイ!」と言った瞬間僕は吹き出しそうになった。
緊張と緩和が効き過ぎている。
「おじさんったら!挨拶までは良かったのに最後の最後の乾杯の挨拶噛んじゃった!!」
「乾杯っていうところをケンパイ!ってwwwwwwwwwwwwwwwww」
※この二つのカギカッコ内は僕の心の声です
※僕はバカです
「ケンパイ!」
皆んながおじさんの発声に合わせて「ケンパイ」と言いながらグラスを上げた。
あぁ皆んな優しいな。
おじさんに恥をかかせないために乗っかってあげてる。
でもそりゃあんなに素晴らしい最後の挨拶を終えて最後の「乾杯」を噛んでしまうのは可哀想だ。
親戚のおばさんがこんなに食べれないと僕の前に刺身や肉を運ぶ。
いつまで経っても男の子は常に腹ペコだと思っている。
もう緩めたネクタイはポケットの中。
外は夕暮れ。
もう我慢できない。
靴擦れした足で歩く速度は女性と歩くにはちょうどいい。
駅までの道、奥さんにやっと言える。
「おじさんの最後の挨拶で乾杯をケンパイって噛んでたな。笑いそうになったわ」
「は?」
「いや、だからケンパイって何やねんっておもて」
「何やねんて、献杯は献杯でしょ」
噛み合わない。
奥さんが話している相手は良い大人にもなって、作詞家もしているのに「献杯」という言葉を知らない男。
僕の詞を嫌いにならないでください。
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