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[#177] 何とも言えない 『十五歳から知ってんのよ』
『十五歳から知ってんのよ』
モテモテだった。
ボーカルになるべくしてなった。
でも本人がナルシストのカケラもない人柄なのでそれがまたモテるのだろう。
男子校なのに卒業式には花束を女子から貰っていた。(どうやって?)
明るく、高身長、ツンツン頭にセットされた彼は男子にも人気があったように思う。
先生にタバコが見つかって停学になっていた記憶もある。
そのくらいの悪さをしちゃう感じもまたモテるのだ。
(ちなみに僕が停学したのは髪が長いという理由だった)
(ちなみにシンタローは十一組と十二組の教室の壁を貫通させようと大きな深いトンネルを椅子の固いところで掘り進め夢半ばで先生に見つかり怒られていた。停学までなったかは覚えていない)
十五歳から知っているキンタさん(うちのボーカル)がとうとう四十歳になった。
つまり僕も半年後に同い年になるのだが。
信じられへん。
向こうも思っていることだろう。
服も、楽器も、タバコも。
何を買いに行くにも一緒に行っていた。
デートだってよく一緒にしていた。
でも高校では「あのモテモテのキンタくんね」くらいの距離感はあった。
会えば話すが放課後遊ぶほどではない。
僕は電車通学で彼はチャリ通学。
交わることはない。
バンドをやっているのは聞いていた。
実は僕も家でこっそりとギターを弾いていた。
でも人前で演奏なんてできる勇気もなく、バンドなんて発想にもなかった。
「これ千円で買ってくれへん?」
今度あるライブのチケットらしい。
ライブハウスに一人で行くことすら怖いのに、たくさんのバンドが出るらしい。
そのうちに一バンドがキンタのバンドだと。
GOING STEADYというバンドのコピーライブ。
人の曲のライブをしていいのか!
と純粋に思った。
ステージもフロアも暴れ回っていた。
後方でじっと見つめながらも僕の心も暴れていた。
ちなみにシンタローのライブにも高校生の時行ったことがある。
B’zとミスチルのコピーバンドだった。
ステージもフロアも静かでお客さんに至っては全員フロアの地面に座っていた。
シンタローを筆頭にメンバーは一切前を見ず演奏に真摯に向き合っていた。
お客さんも退屈だから座っているのではなく真摯に聴き入っていた。
後方でじっと見つめながらも僕の耳も聴き入っていた。
丸くなった。
よくある表現だが本当に丸くなった。
彼の性格は尖っていたわけでもないが音楽に対してだけは尖っていた。
それが今では人として余裕があるように思う。
遅刻もなくなった。
昔は定刻に来る方が珍しかったのに。
ペラペラだった身体も少しガッチリした。
そりゃ十八年も歌ってるからボーカリストとしての身体になるよな。
でも僕も同じことが言えるのかも知れない。
遅刻は今も昔も僕はしまへんが。
「あんまり自分たちのこと”おっさん”って言うのやめへん?」
一度シンタローにそう言われたことがある。
社長もそれに賛同していた。
僕は二十代後半から自分のことを”おっさん”と言っていた覚えがある。
それは若作りしていることが一番ダサく痛々しいことだと思っていたから。
しかも”おっさん”に憧れていたのもある。
僕が当時かっこいいと思う男は全員いい感じのおっさんだったのだ。
でもシンタローが言うことも理解できる。
なので僕はなるべく言わないようにした。(それでもたまに言うてしまってたが)
四十歳。
数字にしてもまだ信じられない。
これはもう正真正銘の”おっさん”である。
僕が憧れたおっさんだ。
あのB’zの稲葉さんでも今は白髪混じりのヘアスタイルでかっこいい。
枯れていく美学を感じる。
僕らは今年全員四十歳になる。
その先陣を切るのがキンタさん。
かっこいい”おっさん”になれているだろうか。
でも自然に生きているとかっこいいおっさんではなく、ただのおっさんになってしまう。
かっこよく生きるには努力が必要だ。
僕は今日もボクシングで汗を流す。
太ったバンドマンにはなりたくない。
これは若作りではなく、なりたい自分になるという行為。
努力が必要なのがミソなのだ。
キンタさん誕生日おめでとう。
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