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[#138] 何とも言えない 『八月に鳴った音』
『八月に鳴った音』
頭を縫う怪我をした夏。(ちなみに頭は二回縫ったことがあるがどっちの怪我の思い出か忘れた)
痛みよりも、果物が傷まないように装着している網みたいなものを頭に被る恥ずかしいさに余計に汗が出た。
でも幸いにも今は夏休み。
毎日友達に会うこともない。
好きな子にこんな情けない姿を見られるわけでもない。
少しの安心と少しの痛みを抱いて眠る。
するとセミが鳴く朝、オトンに叩き起こされる。
「お前何してんねん、ラジオ体操行けよ」
金魚掬いの金魚を長く育てられた記憶がない。
今度こそと調べはするものの。
わかっているのに。
すぐサヨナラなんだ。
花火にも色んな思い出が重なる。
家族と見た花火、初めての彼女と見た花火、興味ないフリして一人でコソッとベランダから見た花火。
どれも美しい。
それはちゃんと消えてくれるからだと思う。
花火が。
ずっと花火が空に輝き続けたならば、この空はなんてつまらないのだろう。
そんなことを思うまだ花火を見ていない今年の夏。
頭を縫うほどの怪我をした次の日のラジオ体操も休んではダメなのか!?
でもこうなっては反論しても無駄なのは幼心にもわかっていたので大声で泣いてみる。
言葉ではなく情に訴えかけてみよう。
逆効果だった。
網を被っているだけでも恥ずかしいのに、泣きながらオトンに首根っこを掴まれながらラジオ体操の会場に連行されることになる。
暑くなる前の夏の朝に網を被りながら、泣きながら、ラジオ体操。
友達も好きな子も何だか気を遣って話しかけてもくれなかった。
ラジオ体操に来た証のハンコを押してもらいオトンよりも先に家に帰った。
僕はその夏のラジオ体操も皆勤賞。
「ずっと」なんてないよって 夏が教えてくれた
「もしかして」と思ったって 君はいつも通り
「もっと」こうしていたいって 願うほど儚いよ
「もしかして」と思い込んだ時に 目が合ったんだ
「」の中の言葉は全部自分にとって都合のいいことばかりだ。
東京は土がない。
大人になってからも金魚掬いをするとは思っていなかったが。
大人になってから死んでしまった金魚を埋めてあげる土を探すとはもっと思っていなかった。
金魚の短命さを夜空の花火と重ねてしまうのはあまりにも金魚に悪い気がする。
だからこそ消えてしまいそうな君と重ねてしまう。
儚く美しい。
でも永遠に輝いてと願う。
そんな矛盾は理解しているものの夏はもう終わりへと向かう。
それは僕らの未来を暗示しているかのように。
今年の夏も終わりへと向かう。
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