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[#127] 何とも言えない 『悲しい匂い』
『悲しい匂い』
花を飾る。
そんな上品な習慣は実家の田中家にはなかった。
僕と弟の男が多い家に花が飾られていた記憶はない。
至る所にボールが転がっていて、ポケットからは砂が出て、常にどこかしらを擦りむいていた。
元気な身体に産んでもらって感謝しかない。
オトンのお姉さんは常に変顔をしていた。
底抜けに明るい人でテープで鼻を上げたり、割り箸を口と鼻の穴に入れたり。
鼻を上に向けると甥っ子の僕が笑うからずっとそのままの顔で居てくれた。
大好きなおばちゃんだった。
人を笑わせるのが大好きな人だった。
僕が物心ついて初めて人の死に触れたのは、そのおばさんが亡くなった時だ。
よく遊んでくれたし笑わせてくれた。
それでも記憶は曖昧なもので、今では顔と声を思い出すのがやっとだ。
変顔のエピソードなどは実家にある古いアルバムのおばさんの写真が常に変顔だから記憶が薄れずに済んでいるに過ぎない。
どの写真でもおばさんは明るくて若い。
とても早くに亡くなってしまったからだ。
でも明確に覚えているのはお葬式の時の様子。
大人が泣き崩れるのを初めて見た小さい頃の僕は、地獄があるとするならこれが地獄なのかもと思った。
照れずに花屋さんに入ってみたい。
もういい大人なのに。
たまに一人で花屋さんに行っても居心地は悪い。
基本的に花屋さんにはワクワクしたりドキドキしたり、楽しい気持ちで行く人が多いと思う。
もちろん僕だってそうだ。
でもいつも悲しくなってしまう。
正確には悲しみがフッと現れては消える。
花の匂いはおばさんのお葬式の時の匂いだから。
僕の鼻にはそうインプットされてしまった。
じいちゃんが最後に棺桶のおばさんのほっぺを触れと言った。
幼い僕は触れていいのかと戸惑いながらも、じいちゃんが僕の手を引っ張った。
何の知識もなかった僕はその冷たさに腰が抜けそうになった。
コンクリートのように冷たいおばさんのほっぺを触り、文字通り死に触れたのだ。
花の匂いにときめきたい。
でも純粋にときめくことはもうない。
僕の人生において。
生花とはなんて悲しい匂いなのだろう。
もちろん花には罪はなく綺麗に咲くだけ。
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