
『進撃のハムスター』
初めに言っておくと。
グロテスクでエグい話をしたいわけではない。
幼い僕が生まれて初めて生命や愛を目で見ることができた話。
今思えば。
犬こそ大学生になるまで飼ってもらえなかったが、生き物を飼うという経験はさせてもらえていた。
初めて飼ったのはハムスター。
オスとメスの二匹だ。
新聞紙や藁(ワラ)を交換しては可愛がった。
ゲージから出して一緒に遊んだり、僕の手のひらで眠ったりしていた。
夜中ゴソゴソと音が鳴る。
初めの方はハムスターを飼っているという現実を忘れていちいちビックリしていたものだがすぐに慣れた。
我が家は二階にも小さい冷蔵庫がある。
夜中喉が渇いたりしたらそこに麦茶くらいは入っている。
ゴソゴソ。
「あぁ彼らも寝返りくらい打つのか」
幼い僕はそんなことを思いながらも夜の暗闇の怖さからすぐに家族が川の字で寝る部屋に戻った。
新聞紙を変える時に、一応その新聞紙を読んでしまうのは何故だろう。
小学生の僕は読んでも意味なんてほとんどわからないのに。
藁を変えようとゲージに手を伸ばした。
よく見ると藁の中にピンク色のものが動いた。
四つくらいあるように見えた。
虫でも湧いたかと思い怖くなってオカンに助けを求めようと叫んだ。
その瞬間だ。
ハムスターがそのピンクの色のものを食べ出したのだ。
恐らく僕が人生で初めて見た「生々しい」景色だったと記憶している。
オカンを呼ぶ声も知らぬ間に止まっていて、呆気に取られることしかできなかった。
ピンクのものはハムスターの赤ちゃん。
グロテスクでエグい話がしたいわけではない。
彼らは藁を変えようとゲージに手を入れた僕が赤ちゃんを奪ってしまうと判断し、それならば自分の手でこの子を殺めてしまおうと思ったのだろうか。
それはグロテスクなようで、愛の行き着く先のようにも感じた。
何とか二匹は守ことができ、その二匹の赤ちゃんはすくすくと育っていった。
しかし幼い僕は食べられてしまった二匹の赤ちゃんを思うと名前のない感情に支配され、藁の交換が辛くなった。
僕のゲージへの手の入れ方が雑だったのだろうか。
このコラムを書こうと思い改めてハムスターの子食いについて調べてみた。
子食いという文字もなかなか書きたくない言葉ではある。
その理由としては色々とあるみたいだが、僕が思い込んでいた「赤ちゃんが奪われるなら自分の手でこの子を殺めよう」などという感情や理由はなかった。
僕が勝手に美談にしていただけということが何十年もの時を経てわかった。
本当の理由は何個かあるらしい。
一つ、栄養が足りない。
これはあり得ない。
毎日ご飯はたっぷり過ぎるほどあげていた。
二つ、赤ちゃんに人間の匂いがついた。
これもあり得ない。
誰もまだ赤ちゃんには触れていなかった。
あとは何かしらのストレス、もしくは赤ちゃんが弱っていて育っていけないと母親が判断した。
理由はそのどちらかと書いてある。
今だからこそ思う。
ハムスターが赤ちゃんを食べてしまう原因がそれら二つのどちらの理由だったとしても。
僕の思いこみや幻想から作り上げた美談よりも「リアル」であるということ。
こういう理由であって欲しいと作り上げた僕の美談がチープ過ぎるということ。
つくづく人間は都合のいい生き物なんだということ。
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