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    [#26] 何とも言えない 『いくら幼稚園児でもおかしいことはわかる』

    KITSU

    2021/06/28 19:00

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    『いくら幼稚園児でもおかしいことはわかる』


    実家は大阪と言っても梅田まで一時間以上かかるような田舎だ。

    奈良や和歌山の方が近い。

    家族でバーベキューに出かける。

    幼稚園児の僕は初めてのバーベキューだ。

    奈良の川はどこまでも透明で、初めて水という形のないものを目視出来た気がした。

    海とは違う。

    緑の匂いと鳥の鳴き声、そして何かの動物が立てる音、何より水というものの冷たさに恐怖をも感じていた。

    突然深くなる箇所に入ると急に頭の先まで川に浸かることになる。

    慌てて掴まる岩の苔がぬるぬるしていて、その気持ち悪さと自分の命を天秤にかけ、流石に自分の命が勝ち岩にしがみついた。

    川は恐ろしいのだ。


    整ったバーベキュー場ではなく、ただの川とその岩場。

    川の水で冷やすスイカと飲み物はぬるい。

    川に入るまでは必要なサンダルも泳ぐとなると途端に邪魔になる。

    僕を含めた子供たちは火起こしのタイミングこそ率先するが、段々と飽きて火の番はオトンが引き継ぐ。

    家から持参した日付が昨日の新聞紙が一瞬で炭になり、煙は僕たちを覆う。

    用意された紙皿には甘口の焼き肉のタレ。

    テーブルや岩場に置かれた紙コップは最早どれが誰のものなのか。

    時計もなく携帯もない時代。

    夏休みは永遠ではないと知るあの頃。

    紫外線とは友達であった。


    野菜の焼き上がりを告げるオカンの声は無視し川で遊ぶ。

    肉はあと少しかかるだろう。

    そんなことは幼稚園児でもわかる。

    まだ使われていない僕の焼き肉のタレには焚き火から飛んできたススが少し浮いていた。


    男の子ってのはお腹が弱いらしい。

    僕は今でもすぐにお腹を壊す。

    トイレに漫画の棚を作っていたこともあるほどトイレとは長い付き合いになる。

    川の水温と普段よりもたくさん飲むことを許されたジュース。

    僕は肉が焼き上がるのを前に川の中でお腹の痛みに気づいた。

    あぁここは奈良の山奥。

    バーベキュー場でもないただの岩場。

    まだ幼い僕にだって言葉こそまだ知らないものの羞恥心や絶望感という感情はある。

    あの頃の絶望感はすぐに死に直結する。

    ここで僕は家族や友達、その家族の前で糞を漏らし肉体的にはこれからという時に一度精神的に死ぬことになる。

    このまま足の届かない場所に行き肉体的にも死んでみようか。


    じいちゃんは僕を見ていた。

    恐らく溺れないか心配で見てくれていたのだろうが、溺れてはいない僕の異変に気がついてくれた。

    僕は川からゆっくりとあがり、じいちゃんにお腹が痛いことを伝える。

    じいちゃんは表情一つ変えずに僕の手を引き歩き出す。

    僕の背中は川の水が乾いていないのか、お腹の痛みから来る冷や汗かびっしょり濡れていた。

    この辺でいいだろうと、人がいない大きな岩の陰を指を差すじいちゃん。

    宏樹少年人生初のアウトドア排出。

    まさかそれが今日だとは思いもしなかった。

    僕とじいちゃんに特に会話はなかった。

    想いを通わせ合い、僕はそこで海パンを下ろししゃがむ。

    じいちゃんは僕の方は見ずに、でも離れずにいてくれた。


    向こうから楽しそうな会話が聞こえる。

    肉が焼けたのだろう、バシャバシャと川で遊ぶ音は聞こえない。

    川は本来の音を取り戻していた。

    じいちゃんは僕のヒーローだ。

    事を済ませ、じいちゃんにお礼を言おうとした瞬間ある事に気付く。

    僕もじいちゃんももっと早く気付かないといけなかったことに。

    紙がない。


    岩陰には名前のわからない虫が蠢く。

    洋式に慣れた少年の屈んだ姿勢にも限界がある。

    じいちゃんは紙がない事を察知すると無言でその場を離れた。

    ティッシュか紙ナフキンでも探しに行ってくれたのだろう。

    待つという行為があるだけで時間ってのは何故こんなに長く感じるのだろう。

    遊びという行為がある時の時間はあんなに短いのに。

    石を踏む足音が聞こえる。

    じいちゃんじゃなかったらどうしようと思ったが、ちゃんとじいちゃんであった。

    この状況をじいちゃん以外に見られたら川に身を投げる事になる。

    じいちゃんは僕の羞恥心を細やかに理解してくれている。

    持ってきてくれたものを僕の方は見ずに顔を背けながら手渡してくれてる。

    いくら孫でも恥ずかしい姿を見られたくはないだろうというエチケットが素晴らしい。

    ジェントルマンなのだ。


    待ちに待った紙的なもの。

    これでお尻を拭けば何事もなかったようにバーベキューを食べ、川遊びができる。

    じいちゃんが僕に手渡したもの。

    それはキャベツだった。

    キャベツの大きな葉二枚。


    じいちゃんも孫のピンチに焦っていたのだろう。

    誰かに聞けばティッシュくらいあったろうに。

    孫の辱めを皆んなに知らせるわけにはいかないと一人で紙を探してくれたのだろう。

    だとしてもキャベツを持ってきたことはいくら幼稚園児でもおかしいことはわかる。

    その入り組んだ感情の全てを当時の僕は理解できていたわけではないだろうが、肌感覚でそれを感じた気がする。

    僕はじいちゃんに「ありがとう」と告げてキャベツでお尻を拭いた。


    僕とじいちゃんが皆んなの元に帰ると僕らの分の肉は紙皿へと取り分けられていた。

    「どこ行ってたんよ、肉冷めるで」

    そんな質問を僕はヘラヘラと流し、じいちゃんは眉一つ動かさないで椅子に座った。

    バーベキューの火が熱するのは網から鉄板に変わっていた。

    肉が終わり、次は焼きそばへ。


    僕は焼きそばが大好きだ。

    大阪出身だが、お好み焼き屋に行くとお好みを食べずに焼きそばを食べるような人だ。

    もちろん白米と一緒に。

    それくらいの僕がその日美味しそうに出来上がった焼きそばのキャベツは少し残した。



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