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[#9] 何とも言えない 『ビーフorチキン?』
『ビーフorチキン?』
北海道でライブがあるとバンドマンはフェリーで向かう。
十六時間ほどかかる。
それでもフェリーに乗るのは機材をパンパンに積んだ車ごと乗せて行けるからだ。
売れているバンドマンは運搬専用のスタッフがいるので本人は飛行機でビュンだ。
もしくは機材を手で運べる最小限の量にし、ライブハウスの機材を借りながらの音作りをすることで飛行機で行くという方法もある。
僕はフェリーが好きだ。
十六時間も波に揺られ、携帯の電波は届かない、本を読むには最高の環境。
誰も運転することがないから全員酒が飲める。
買い込んだ弁当を温めるレンジも、カップ麺用のお湯も、割り箸もある。
ちなみに僕はいつもサトウのご飯と納豆を買う。
中には小さい映画館もあり、海の荒れ具合で大きく波打つ大浴場。
面白いゲームはない小さいゲームセンター、甲板に出れば潮風と水平線。
船酔いする人は最悪だろうが、僕はそれら全て大好きだ。
初めて飛行機に乗ったのは22歳の時。
かなり遅い方だと思う。
大学の卒業旅行で北海道のニセコにスノボーに行った時だ。
北海道は海を越えるからパスポートがいるだの、荷物検査ではパンツ一丁になるだの、スチュワーデスさんは全員英語しか話さないだの。
友達は飛行機童貞の僕をビビらせようと嘘をついた。
関西人ゆえに一応全部に「んなアホな」と突っ込んだが、内心どれか一つくらい本当なんじゃないかと心配になっていた。
飛行機にもそれなりに乗らせてもらう回数が増えた。
あるツアーの話。
今回はフェリーではなく超過分の荷物の料金を払い、メンバースタッフ総出でギターなど機材を持てるだけ持って飛行機に乗り北海道でライブをする。
北海道のライブはいつも素晴らしいものになる。
空港から札幌に向かう景色は僕を高揚させながらも落ち着かせる。
雪はアスファルトを隠し、街の音を吸収し喧騒すら独特の響き方がある。
ライブ自体は僕らもしょっちゅう行けないし、北海道のお客さんもこいつらがしょっちゅう来ないとわかってる。
年に一回や二回だ。
その少ないライブを全力で良いものにしようとステージとフロアがいつも一つになっている気がする。
今回もそうだった。
別に出待ちを推奨しているわけではないが、お客さんの出待ちの数は北海道が一番多いと思う。
名残惜しさが伝わってくる。
あぁ明日帰るのか。
翌朝、集合時間よりも少し早くホテルのロビーに向かった。
遅れてくる人も大体決まっている。
罰金制を導入したこともあったが彼が破産しそうなのでやめた。
水中で暮らしているのかと思うほど濡れた髪のまま最後の人が慌ててロビーにやってきた。
「すんませんー!!」
と遅刻を詫びる彼は髪どころか顔も濡れていた。
遅刻しても朝風呂は入るのだ。
水分を拭くことを犠牲にしてでも。
うちのボーカルのキンタさんはそういう人なのだ。
全員が揃ったところでマネージャーが各々に帰りの飛行機のチケットを配った。
北海道で借りたレンタカーに乗る。
あぁ北海道とはまたしばらくお別れか。
少し感傷的になった。
車は雪に気をつけながら動き出す。
溶けかけた水分の多い雪をタイヤが踏む。
雪国独特のシャリシャリという車道の音が好きだ。
出発してすぐにコンビニに寄りたいと言い出すのも大体キンタさんだ。
さすがなのである。
空港の手続きはとても面倒だ。
たくさんの機材を持ってのツアーなら尚更。
折れるなよ、壊れるなよと毎回祈りながらギターを預ける。
一応棺桶のような箱に入れてくれるのだが、その箱の厚みは猫でも壊せるんじゃないかと思うほどだ。
厚着をした新千歳空港は暑い。
全ての手続きを終え、あとは搭乗するのみ。
列に並ぶ。
チケットのQRコードを機械に読み込ませると門は開き、CAさんが笑顔で迎えてくれる。
簡単な作業だ。
たくさんの人が搭乗口に吸い込まれていく。
こういう時に事前に手元にチケットを用意せず自分の番になってからカバンの中を探し出す人が嫌いだ。
幸い僕の前に並ぶキンタさんの手元には随分早い段階でチケットが握りしめられていた。
キンタさんの番が来て彼はQRコードを機械にかざす。
しかし門は開かず警告音が鳴り響いた。
彼はパニックに陥ったのか、もしくは反射的になのか、奇声を上げた。
「ノーバディー!!!」
彼はボーカリストである。
日常会話でも彼の声は大きくよく通る。
なぜ「ノーバディー!!!」と叫んだのかはわからない。
その当時ハマっていたフレーズだったのかもしれない。
とにかく彼はなぜかその瞬間「ノーバディー!!!」と叫んだのだ。
夢でも見ているかのように俯瞰でぼんやりと冷静に、僕はその光景を見ていた。
それは彼が突拍子もない言動をすることに僕が慣れていたからかもしれない。
しかしそんな人は僕だけで周りの人は皆少しだけ彼に注目しすぐに目を離した。
ここから僕の焦点は急にピントが合い、景色は現実味を帯び劇画タッチになるのである。
その様子を見ていたCAさんが笑顔のままキンタさんに近寄ってきてこう言ったからだ。
「OK OK Please let me confirm…」
そこからの言葉は覚えていない。
なぜなら僕は爆笑の中にいたから。
CAさんは「ノーバディー」と叫ぶ彼を外国人だと思い英語で声をかけ、キンタさんはパニックな上にCAさんに英語で話しかけられラーメン二郎でいうところのパニックマシマシ状態に陥っている。
日本人であることを言えばいいのに、キンタさんはなぜか頑張って英語で返事をしようとしている。
ここが僕の中で一番面白いところだった。
もちろん彼は英語は話せない。
この世の終わりのような顔をしたキンタさんを見ながら、助けることもできず僕はこの世の終わりのように笑い死にそうになった。
息が苦しい中やっとの思いで吸い込んだ北海道の空気は美味しい気がした。
ビックリして奇声を上げてしまったキンタ、それに対応したCAさん。
登場人物に誰も悪い人はいない。
強いて言えば助けることもぜず爆笑していた僕だけが悪い人だ。
笑い終えた後こんなことを思った。
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