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[#6] 行間と字余り 『その時のこと』
『その時のこと』
その時
【意味】
前述のある時点を指す語
その際、その折
副詞的にも接続詞的にも用いられる
僕は初めてきちんと女性とお付き合いしたのが、たぶん同世代の人の中でもかなり遅い方だったんだと思う。
高校が男子校だったからというのは言い訳になる。
男の友達とバイクで走ったり、経験がないからこそできる純度百バーセントの妄想の女の話をしている方が楽しかった。
そんな中、誰にでもあるような初恋は足音もせず僕のところにもやってきた。
高校三年生の松原市での話。
もしラブソングのすべてがその作者の実体験から生まれたものだけだとしたら。
それはなんて悲しいことだろう。
せっかく何を書いてもいいのだから。
自分の脳を宇宙のように大きくして、イメージし、創作する仕事を僕らはやらせてもらっている。
いや、自ら勝ち取った仕事だ。
しかしその創作は日々の実生活で培われたものから生まれているというのは言うまでもない。
一方、実体験からしか出てこない生々しさがそこには確かにある。
しかし自分がやせ細っていく。
身を削って書くとはよく言ったものだ。
何が言いたいかというと、つまりどちらも正しいのだということ。
ただどちらかが疎かになるのが怖い。
僕は初期の頃、後者の手法しか知らず自分の世界を狭め、自分の身を削り、自分の首を絞め。
言葉を血とゲロとともに吐いていた。
そんなことでは歌詞を書き続けることなんてできないのに。
すべての涙も、すべての優しさも、すべての意味を初めて人に使った。
そんなことは初めて。
人のためというと聞こえは良いが、その人のプラスになることはすべて僕のプラスになっていたと言う方が正しい。
自分のためだったのかもとも思う。
すべての初めてをその人と共にし、すべての余生を共にすると思っていた。
家族の誰よりも家族になっていた。
徒歩五分先が引っ越し先だ。
実家というものの場所が数百メートルずれたのが小学四年生の頃。
ものもらい(関西では目ばちこという)ができると謎のおまじないで治したり、新しい靴を履く時は怪我防止のおまじないがあったり。
我が家のルールは社会では通用しないことがだんだんわかってきていた。
そんなおまじないを駆使する父が日頃からよく言っていたことがある。
『嫌なことは先にやれ』
宿題でも掃除でも、めんどくさいことを先に終わらせろと。
この教育論が正しいか正しくないかは置いておいて。
それが染み付いている僕は夏休みの宿題も大人になってからの歌詞の提出も遅れたことはほぼない。
では父はなぜそういう教えをしたのか。
嫌なことの後には良いことがある。
そう言いたかったのかなと思う。
思うって言ってるのは特に確認もしていないからであるが、そうであったらいいなと思う。
では、この悲しみはこの先の喜びを知るためなんでしょうか?
そのことも特に確認もしていない。
死別以外の別れを初めて経験した。
その初めてもその人と経験した。
その初めては初めて共にはできなかったこと。
そんな、その時のこと。
僕はあまのじゃくである。
本心はすぐそこにはない。
素直でまっすぐな人に憧れたりもする。
でもそのあまのじゃくも愛している。
その性格にはメリットもデメリットもあり、僕は常に試されている。(誰に?)
言わないでいいことは二酸化炭素とともに口から漏れ、言わなくちゃいけないことは喉に刺さる魚の骨のようにつっかえたまま。
その時、僕は言わなければならなかった。
あの人に。
この事を。
若さのせいもあるだろうが、落ち込んで死ぬってことはあるんだろうな。
と思えるほど落ち込んでいた。
死因は落胆。
なんてね。
それなのに普通に飯を食べ、眠り、生活している自分に絶望していた。
普通に鼓動を続ける心臓に嫌悪感を抱いていた。
時間だけが癒してくれるなんて馬鹿げた言葉に唾を吐いた。
時間はその人を美化していくだけだと体感したから。
でもそれを背負うことが生きることだとも体験した。
そんな、その時のこと。
『その時のこと』
涙を捨てた
君以外で涙は使わないよ
心を捨てた
もう人には優しくできないよ
恋が離れたら
別の愛が傷を癒すの?
この悲しみは
この先の喜びを知るため?
君のいない日々をもう生きる意味はないな
でも心臓は動いて 明日を迎えようとしている
大事な言葉は吸い込んだ空気と一緒に喉元でとまったんだ
こんな気持ち抱え込んでいたら動けなくなりそうだよ
君のいない日々をもう生きる意味はないな
でも心臓は動き 明日を迎えようとする
月日は君を今よりもっと美化するから
綺麗な君やすべてを背負って生きるよ