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[#5] 何とも言えない 『何かの死体』
『何かの死体』
犬も猫も大好きな僕にとっても、そうじゃない人にとっても道で車などに轢かれ死んでしまった動物を見たくはないだろう。
しかもそれを見た時の対処の仕方もよくわかっていない。
病院に連れて行くのか、保健所に連絡するのか、はたまた警察?
これを考えているだけで心がしんどい。
仕事で家を出る。
今日は長くなりそうだ。
イヤフォンからは今日作業する僕らの新曲のデモが流れている。
イントロのギターはまだ仮のもので、これをどうしたもんかと考えながらの通勤である。
家を出てイントロが終わりAメロのキンタの歌が始まろうとするその時、道にそれはあった。
ちゃんと見たわけではない。
でもそれが何か感覚でわかる。
絶対に何かが死んでいる。
まだイヤフォンに流れる曲はサビにも到達していない。
誰かが何とかしてれるだろう。
そう思う僕はミスチルの「HERO」の頭の歌詞※「例えば誰か一人の命と 引き換えに世界を救えるとして 僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ」を表したような奴だなと、自分に絶望しながらそれらを見ないように駅へと歩いた。
その日の仕事はずっとそれが心に引っかかりどんな明るい曲を聴いても沈んだ気持ちが浮き上がることはなかった。
もしかしたらまだ息があったかもしれない。
僕が動物病院に運べば命を救えたかもしれない。
死んでいたとしても目を瞑り見なかったことにするなんて人としてどうなのだろう。
その日の僕のギターは何を弾いても哀愁だけを漂わせた。
帰り道。
その道は避けられない。
もう暗くなった道は自分の心よりは街灯により明るい。
そろそろあの場所だと思うと同時に全身が心臓になったかのように体が脈打つ。
何と、まだそれは道にあったのだ。
誰からも救助されず、保健所が作業することもなかったのか。
人通りもそれなりにある道なのにだ。
僕は自分のことは棚どころか屋根ほどの高さに上げまくり、なぜか怒りが沸いた。
可哀想に、なんて長い間放置されていたのか、そんなにも世の中の人間は我関せずなのか、もうわかった、僕が供養してやろう。
そう覚悟を持ちそれに近づいて行く。
声をかけてやろうと優しい眼差しで逃げずに初めて直視した。
それは薄汚れたバスタオルだった。
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