前書き
『僕は自分の名前が言えない』
「あ、2名空いてますか?じゃあその時間に予約お願いします」
「かしこまりました。ではお客様のお名前と電話番号を教えていただけますか?」
「。。。。」
「もしもし?お名前を…」
「たっ。。。た。。。」
「もしもし?」
「ガチャ」
「ツーツー」
僕は自分の名前が言えない。
予約の時、僕は「スズキ」さんになる。
偽名を使うだけで事がうまく運ぶ。
特にタ行の言葉が発音しにくい。
そして僕の名前は「田中宏樹」なのだ。
タ行だーーーーーー。
この現象の正体がわかるまで得体の知れない絶望の中にいた。
正体の名は「吃音症」
僕は吃音症なのである。
なんじゃそら?って思うでしょ?
僕もそうでした。
吃音症の概要です。
吃音(きつおん、どもり)は、話し言葉が滑らかに出ない発話障害のひとつです。
単に「滑らかに話せない(非流暢:ひりゅうちょう)」と言ってもいろいろな症状がありますが,吃音に特徴的な非流暢には、以下の3つがあります。
・音のくりかえし(連発)、例:「か、か、からす」
・引き伸ばし(伸発)、例:「かーーらす」
・ことばを出せずに間があいてしまう(難発、ブロック)、例:「・・・・からす」
上記のような、発話の流暢性(滑らかさ・リズミカルな流れ)を乱す話し方を吃音と定義しています。
※国立障害者リハビリセンターHPより
こんな感じです。
僕はこの3つどれもに共感でき、その辛さをわかっているつもりなのでこれを読むと涙すら出そうになる。
映画「英国王のスピーチ」を観てもらいたい。
僕はちょっと冷静には観れない映画なんですが、吃音症をテーマにした映画です。
少し前に僕らの前事務所社長の小林武史さんと食事をした。
いつも音楽だけじゃなく(いや音楽の話はいつも少ない)環境問題や哲学の話をいつも熱心にしてくれる。
東京の父親だと勝手に思っている。
名前もわからないとりあえず美味いワインと、近所のスーパーには売ってないであろう水牛のチーズをバクバク口に運びながら話を聞いた。
絶対にこうやってバクバク食べ飲みするものではなく、少しずつ口に運んで風味や余韻を楽しむものだと思う。
そこで「利己主義」「利他主義」の話になった。
「リターン主義の略って事ですか?」
と質問してたうちのボーカルさんは置いといて。
とても簡単に言うと小林さんは、今までは自分のために生きてきた。
でももう自分のためではなく自分以外のために生きていくことを考えているし、そういう時代なんじゃないか。
みたいな話をしていた。
何だかワインのせいもあってか僕に突き刺さった。
30歳を超え、今までは自分の事しか考えてなかったし、今でも自分が1番可愛い。
でもどこか虚しさがある。
こんな僕でもそういう思考や哲学に行き着いた事がある。
顔も知らない会った事もない人の幸せなんて考えられないけど、僕の周りの大好きな人やいつもLEGO BIG MORLを応援してくれている人。
そんな僕の半径5mにいるような人のためなら何かできるし、その人の幸せなら心から願える。
それを僕は勝手に「半径5m運動」みたいに呼んでたんですが。
それを描けたのがアルバム「心臓の居場所」
でも今回はやっとそれすらも超えた顔も知らない誰かのためのもの。
そんなものを書ける気がする。
いやぁ初回の前書きって事でなんか固くなってしまってるぜ。
こんなつもりじゃったけど、この導入部分は大事なとこなのでね。
ごめんやで。
ただ書きたいのは、同じ吃音症で苦しむ人が少しでも勇気を持ってくれれば。
そして吃音症を知らなかった人が少しでも「へ~そんなのがあるんだ」と理解してくれれば。
それだけのものです。
誰からも頼まれてないし、お前じゃ役不足だと思われるかもですが、謎の使命感があります。
言いたい事も言えないこんな世の中じゃポイズン。
それは吃音症ではない人にも言える事。
言葉を失ったり、詰まったり、噛んだり、言語化できなかったり。
それらは吃音関係なく生活の中でたくさんあると思う。
僕はたまたま普通の人よりも言えない言葉が多い。
こんな個人的なテーマをメンバーそれぞれが人生をかけた大切なLEGO BIG MORLで表現するのは違う気がする。
でも言えない言葉があるからこそ、言い換えたり、違う表現をしたり、それが独特な表現になったり。
作詞家としては多分このハンデを上手に使えているんだろうとも思う。
これからは別に吃音を理解してくれ!みたいな文章を書いていくつもりはない。
人間として「何とも言えない」「言葉にならない」を書いてみたいと思った。
それは作詞家として、物書きとして、たまたま吃音症である者として。
ここでもし皆さんからの支援や売上げなどがあれば、その一部を吃音症で苦しむNPO法人に寄付したいと思います。
長くなってしまいましたが。
これからの吃音とは直接的に関係ないようで「言えない」というテーマが滲む私小説を「何とも言えんなぁ」「言葉にならんなぁ」と楽しんでもらえたら「ありがとう」と言いたいです。
ア行は不得意ではないので。