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[#295] 何とも言えない『人を信じるか、信じないか』
『人を信じるか、信じないか』
音楽でも、歌詞でも、ライブでも、このコラムでも、小説でも、小説のトークライブでも、SNSでも。
こっちから想いを伝えることばかりやってる。
たぶん言葉や伝えるのが上手い人はもっと少ない回数や時間で伝えることができるんだろう。
僕は下手くそだから回数も時間もかかる。
こんなに表現することをやり続けてるのにまだ表現が下手くそなんて心が折れそうになるけど、それと同時に何か表現しないと頭がおかしくなるという病気なのかもしれない。
こうして毎週コラムを書いている頭おかしいと思う。
二日前に小説のトークライブがあった。
自分の本の話をすることは大前提は照れくさい。
しかしそれと同時にもう一度自分を見つめ直す、そして客観的な視点の意見を貰える。
そこで自分なりの考えを持った。
その音楽が嫌いでも、人として好きになればその音楽も良く聴こえてくる。
そんなことが僕にはある。
もっと合理的にそこは切り離した思考を持つべきだとも思うが、音楽と同じくらい人が好きだから仕方ない。
「いつか誰かに騙されるで。人を信じ過ぎやで」
そう言われたことがある。
僕の性格を何となく知っている人は信じられない言葉かもしれない。
しかし僕の性格を深く知っている人ならこの言葉に賛同するらしい。
性格はひねくれているし、言葉を書いたり、ギターで様々な音を出すから一見思慮深いように思われている。
でも実態は何も考えていない単細胞なのだ。
性善説のもの行動していると言っていい。
人を信用している。
平和ボケしているとも言える。
伝えよう。
音楽でも、歌詞でも、ライブでも、このコラムでも、小説でも、小説のトークライブでも、SNSでもそう思って、伝える行動ばかりしている僕。
これは何でなのかを自問してみる。
もちろん表現するのが好きなのだが、伝えようとしまくっている気もする。
必要以上に。
もし間違った形で伝わってしまったらどうしよう。
もし勘違いされたらどうしよう。
もし僕の言葉足らずや知識不足で正反対の解釈をされたらどうしよう。
そう考えるとたくさん説明してしまう。
説明と表現は違うということは理解しているが、その大前提の上で行動してしまう。
でもこれってよく考えると相手を信じていないのかもしれない。
本当の意味では人を信用していないのかもしれない。
そんな考えに至った瞬間に絶望してしまった。
え?僕は人を信じてるようで、信じてなかったのか?と。
なんて薄情なやつだと。
絶望の淵で思考をやめない。
やめたらそこで終わってしまう。
いや違う。
僕が理解力のないアホやからこのくらい説明してほしいと人に思うことがあるから僕もそうしているだけ。
それを人にもしてしまっているのだ。
だから僕は人を信じないといけないのではなくて、人が僕よりも賢いということを理解すべきことなのだ。
僕は人を信じていないのではなく、人を僕と同じくらいアホやと思ってたのだ。
人は僕みたいなアホではない。
これがこのコラムの結論。
肝に銘じる。
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